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 初恋 <Final>  教育実習生:佐多香織

私は、校門へと続く並木道を左右を見ながら、彼の背中を捜していた。

―やっぱりいた・・・

<絶対にこの時間ならこの辺りにいると思ったの・・・>
ちょうど一週間前の今日入江琴子が私を追い越していった同じ場所で、私は彼を見つけた。

「入江君!・・・」
私は、今日はためらうことなく、彼に声をかけた。

振り向いた入江直樹は、別に驚いた風もなく私を見つめ返した。
「佐多か・・・教育実習、終ったのか?」

「ええ、終ったわ」
私は精一杯の笑顔を作って答えた。
すると、入江直樹の視線は私を通り越して、中学校の校舎の方へと向けられた。

「奥様は、生徒達との別れを惜しんでるわ・・・すごい人気よ。花束もたくさんもらってたわ。
私は、厳しい先生だったらしくてお花ももらえなかった。ちょっとしゃくね。」

「そうか」
相変わらず、素っ気ない答え・・・
でも、私はこれが最後なのだと思い、勇気を振り絞って話しかけた。

「ねえ、入江君?こんなこと言ったら悪いけど、あなたの奥様って教師には向いてないと思うわ」

私の言葉に、入江直樹はふっと笑みを浮かべて言った。
「ああ、その通りだよ・・・」
思いもよらず入江直樹は私の言うことを肯定した。

「えっ?わかってて、教育実習に行かせたの?・・・彼女、とっても苦労してたわよ。止めてあげ
ればよかったのに・・・」
私は、少しでも長く彼と話していたい一心でいた。

「あいつの口癖がさ・・・”やってみなければわからない”なんだ」
ふいに入江直樹が言った。

「琴子先生の口癖?」
私が、彼の顔を覗き込むようにして聞き返すと、ちらりと私の顔を見た入江直樹は、しばらく考え
てからおもむろに話し出した。

「そう、あいつの口癖・・・高校の頃のオレにはずっとやってみたいことなんてなかったから、そん
な気持ちもわからなかった。でも、あいつは何に対しても、出きるか出来ないかは、やってみなけ
ればわからないって言うのさ・・・オレに対しても、何に対しても・・・そして、オレに本当にやりたい
ことができた時、迷っているオレの背中を押してくれたのが、あいつのその言葉だったんだ」

私は、不思議な感動の中で入江直樹の言葉を聞いていた。
なぜ、彼が突然そんなことを言い出したのかその時はわからなかったが、きっと彼は何度もそん
な場面に遭遇しながら入江琴子への思いを深めていったのだろうと思えた。

失敗を恐れず、立ち向かう勇気・・・
拒絶されることを恐れて、本当の心を隠すことばかり考えていた私では到底かなう相手ではなか
ったんだ。

「まあ、思い知って帰ってくるだろう・・・あいつが納得すればそれでいいんだ」
入江直樹は、再び中学校の校舎の方へ視線を投げながら言った。

「奥さんのこと、良く理解しているのね・・・」

「まあね・・・でも、佐多はきっといい教師になれるよ。あの頃から佐多の努力を一番良く知ってるの
はオレだからな・・・」

―えっ?・・・

私は、何の前ぶれもなく涙が込み上げてくるのを感じていた。
入江直樹は知っていたの?・・・私が必死で努力していたことを?・・・
少しでも彼に近づきたくて、心に触れたくて、不器用な恋に胸を痛めていたあの頃の私。

もう、湧き上がる気持ちを抑えることができずに私は思わず彼の前に回りこんだ。
「い、入江君!私本当はあの頃から・・・」 「オレはあの頃と何も変わらないよ・・・」
私が、勢いのままにあの頃の想いを口にしてしまいそうになるのを、抑揚のない入江直樹の言葉
が遮った。

「オレは、あの頃と何も変わっていない。ただ、琴子がオレのココロに住んでいるってこと以外は」
入江直樹は、そう言うと私に背中を向けて歩き出した。

「い、入江君・・・彼女を待ってなくていいの?」
私は搾り出すように、入江直樹の背中にたずねた。

「話は家で聞くからいいさ・・・佐多も元気で!」
入江直樹は、振り向くと思いがけずとても優しい微笑みを浮かべて私を見た。
そして、軽く片手をあげてゆっくりと校門を出て行った。

私は、震える体を両手で抱えるようにしながら、ずっとその背中を見送っていた。

―きっと彼は、あの頃から私の気持ちを知っていたんだ。

この時、私はそう確信していた・・・だからこそ、きっと入江琴子への思いをあえて私に聞かせた
のだろう・・・

私の気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだ・・・たとえ報われなくても、彼は私が努力しているこ
とを知っていた。それでも答えられない想いだからこそ、何も気付かない振りをしていているの
が一番いいと彼は思っていたんだろう。
そして今彼はぶっきらぼうに振舞いながらも、決して私を傷つけることなく、私が自然に気付くよ
うに仕向けてくれた。

それが、入江直樹の優しさなんだ・・・

なんだか、急に心が軽くなったような気がした。

―これで忘れられる・・・お別れね、私の初恋・・・さようなら、入江直樹


私は彼の消えた校門に背中を向けて、中学校の校舎へ向かって歩き始めた。

「佐多せんせーーい!」
ふいに大きな声で私を呼ぶ声が聞こえた。

見ると、大きな花束を抱えた入江琴子が息を切らしてこちらに向かって走ってくる。
「琴子先生、どうしたの?」

「佐多先生、この辺で入江君見ませんでしたか?」
入江琴子は、キョロキョロと辺りを見回しながら、せっかちに私に聞いた。
私は、そんな入江琴子の顔を不思議な感慨をもって見ていた。

「さあ、見なかったけど・・・」
私は、彼女からほんの少し視線をはずして答えた。

「そうですか・・・今すぐに話を聞いて欲しかったのにな〜もう帰っちゃったんだ・・・」
入江琴子は、大げさにがっかりした顔を見せながら、すぐに私の顔を覗き込んできた。
「ところで、佐多先生はこんなところで何してるんですか?・・・これから実習生の打ち上げだっ
て、みんなが言ってましたよ」

「えっ?私?・・・」
今目の前で私の答えを待っている入江琴子は、私がたった今まで入江直樹と一緒にいたなど
とは露ほども思っていないのだろう。
私が、たった今決別した想いの、ほんの一片すら彼女には知られたくないと思った。

「私は、ずっと会えなかった昔の友達にお別れを言ってきたの・・・また会えなくなっちゃうと思
ったから・・・」

「そうですか・・・もう、ご自分の大学へ戻るんですもんね。佐多先生とはあまりお話しなかった
ですけど、お世話になりました」
入江琴子が、感傷的な表情を浮かべて私に頭を下げた。

この子が、入江直樹が愛する人・・・
あらためてそう考えても、今の私の心にさざ波は立たなかった。

「こちらこそ、お世話になりました・・・って、琴子先生は打ち上げには出ないの?」

「はい!もう、すぐにでも入江君に聞いて欲しいことがいっぱいあって、打ち上げなんて行ってる
暇ないんです・・・それじゃ、佐多先生、お元気で・・・」
屈託のない笑顔を見せて、入江琴子が手を振った。

私もつられて手を振りながら、ふと思いついて歩き始めた彼女を呼び止めた。
「琴子先生!」

入江琴子が、花束を持ち替えて振り返る。

「入江君と幸せにね・・・」

彼女は一瞬驚いた表情を浮かべてから、すぐに笑顔になると大きく手を振りながら言った。
「ありがとう・・・佐多先生は、きっといい先生になれるね」

「えっ?どうして?・・・」

「だって、家の裕樹君が言ってたもん、佐多先生は教え方が上手だって!まるでお兄ちゃんみ
たいだって!入江君って、人に教えるのとっても上手なんですよ。だから、きっと佐多先生はい
い先生になれます・・・私が言うのも変ですけどね・・・じゃっ!」

そうして、入江琴子はほんの数分前に入江直樹が消えた校門を足早に出て行った。
私は、くしくも教育実習最後の日に、この二週間私を翻弄した二人の背中を見送った。

―”いい先生になれる”か・・・夫婦で同じこと言うのね・・・

私は再び校門に背を向けると、風の強くなって来た並木道を校舎に向かって歩き出した。
何か、とても温かなものが心の中を満たしていくようだった・・・

「ちょっと!香織ーーどこ行ってたのよーもうみんな打ち上げの会場へ行っちゃったわよ!」
元同級生が校舎の入り口で手を振っている。

「ごめーん!すぐ行くわー」

私は、向かい風も気にせずに走り出していた。
一瞬視界がぼやけ、耳の横を涙がかすめたような気がした。
それは、私の初恋の最後の一滴・・・

―もう、振り返ることはない。

だって、私は失ったものの痛みよりも、もっとかけがえのないものを手に入れたから・・・
失敗を恐れずにありのままの自分でいることの大切さと、あの入江直樹の優しい微笑みを・・・



                                             END


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