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 彼に恋した10日間<13>  医学実習生:神谷美咲

―私は、入江先生のどこに惹かれたんだろう・・・

私は、一条先生と別れて病院を出ると日曜日の賑わう街をあてもなく歩きながら、ずっとそのこと
ばかりを考えていた。

<だって、あなたは入江先生の容姿に惹かれたわけじゃないんでしょう?・・・>

―そう・・・それだけは確かだ。

初めて入江先生に会った時の印象を、今でもはっきり覚えている。
私には一瞥もくれず真っ直ぐに西垣先生の前に進み出た彼の冷やかな表情が浮かんで、ふと思
い出し笑いが込み上げてくるのを感じた。

―つい最近まで研修医だったと聞いて、すごく不安になったっけ・・・

しかし、そんなことはただの懸念だったとすぐに気づかされ、私はあっという間に彼を尊敬の目で見
るようになっていた。

―それが恋に変わったのは?・・・

私は、いまだにガーゼが当てられたままになっている右足の傷に視線を落とした。
それは、間違いなくあの時・・・
風に飛ばされたメモを追って思いもよらず転んでしまった時、足に傷を負った私を抱きあげて初療
室へ運んでくれたあの瞬間、私の心の中で尊敬が恋へと変化しのだと今ならはっきりわかる・・・

ただ、それならばなおのこと、私は入江先生のどこに惹かれたのだろうとあらためて考えた。
それは、出会った時の不安すら感じた印象の悪さと、颯爽と私を抱きあげたまるで映画のヒーロー
のような姿とのギャップ・・・

―ああ、きっとそうだ・・・

一条先生に言わせれば、私のように仕方なくでも入江先生のそばにいられる立場でなければヒー
ローの入江先生を知る機会はまずあり得ないらしい・・・
冷やかで理性的な彼と、温かくて優しい彼の2つの顔を見てしまったから、私は彼に惹かれたのか
もしれない。
思えば、これまで誰か他人のことをこれ程知りたいと思ったことはなかった。
その心に触れたくて、私の気持ちをわかって欲しくて、ただそばにいたくて、少しでも長く声を聞い
ていたくて・・・
琴子さんを見て微笑んでいる入江先生にわざと声を掛けたこともあった。
琴子さんの失踪を知って、我を忘れてその理由を知ろうともした。

―こんな気持ちの全てが恋なんだ・・・

でも、私が恋した彼が今あるのは、琴子さんの存在あってのことだと一条先生は言った。
それは、あまりに感動的で、歯ぎしりするほどに口惜しい事実だった。

わけもなく大きなため息がこぼれた。
今さら自分の気持ちを分析しても仕方がない・・・

実習もあと3日・・・彼に恋した日々ももうすぐ終わる。
それでも、ほんの数日前よりはずっと自分が冷静でいられることにほっと胸を撫で下ろしていた。

―これも一条先生のお陰・・・

彼女に出会わなかったら、私は生まれて初めての感情に振りまわされて本当に恋と一緒に夢も捨
ててしまっていたかもしれない。
それ程に、入江先生への想いは急速に高まって、あっという間に私の心を支配してしまったから・・・

―私って結構情熱的だったのね・・・

思わず込み上げる笑いを噛み殺していると、不意にある想いが胸に浮かんだ。
もし、一条先生に救われることがなければ、私は入江先生にこの想いを伝えていただろうか・・・と。

―違う。そうじゃないわ・・・

決して受け入れてはもらえないことはわかっている。
でも、せめてこの気持ちを伝えることはいけないことなのだろうか・・・と。

何も望みはしない。
ただひと言、「好きでした」と伝えたい。
私は唐突にひらめいた想いに、胸が苦しくさえ感じていた。

その時、彼はどう答えるのだろうか・・・
せめて、入江先生が私が恋をした優しい姿で拒絶してくれたら、私はきっとこの恋をキレイな思い
出にすることができるような気がしていた。



ふと空を見上げると、すっかり暮れた夜空に大きな月が浮かんでいた。
それは、あと2、3日もすればきっと満月になるであろう、ちょっと頼りない、それでも丸く見える月
だった。
私は、想いを託すように胸に手を当てながら月の光を見つめた。


この月が満ちる頃、私の小さな決心がどうか報われていますようにと願いながら・・・


                                          つづく


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