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 やきもちも恋のスパイス<1>  彼に恋した10日間・番外編

夜勤明けの朝、私は患者さんの済ました朝食の食器を調理場につづくリフトに乗せると、両手を広
げて伸びをした。
「うーん!・・・これで今日のお仕事終わり〜!・・・さぁ、引き継ぎをして帰ろうっと。」
私は、ちょっとわざとらしく声に出して言いながら、そっとあたりを伺った。

―うふふ、誰もいない・・・

私は、それでも慎重にあたりを見回しながら、目の前の角を素早く曲がって外科の医局へ向か
った。

―入江君、もう来てるかな?・・・

今日、入江君は日勤だと言っていた・・・だから、このまま病院で会えなければ、夜まで顔を見るこ
とはできない。

―昨日は、実習生の指導医になったとかで忙しそうだったし、廊下でちょっと話しただけだったもんね。

私は、自分勝手な言い訳を心の中でつぶやきながら、まだ人気のない廊下を急いで歩いていた。

外科の医局のドアからは明かりが漏れていて、誰かがいるのは確かだった。
私は、入江君がもう来ていることを祈りながら、そっとドアを開けて中を覗きこんだ。
すると、今までこの医局では見たことのない女性医師がいて、私の気配に気づいたのか顔を上げ
た彼女と目が合った。

―えっ?誰?・・・

私は、初めて見る彼女に反射的に「お、おはようございます」と声をかけた。
そして、不審げに私を見ている彼女に何か言わなければと思った私は、彼女しかいないのは一目
瞭然の部屋を見回してから尋ねた。
「あ、あの・・・入江先生はまだ?・・・」

すると、私よりずっと若く見えるその女性医師は少し慌てたように立ちあがりながら答えた。
「は、はい・・・他の先生もまだこちらにはいらしてませんが・・・」

「そ、そう・・・驚かせちゃってごめんなさいね」
私は、彼女に謝ると、がっかりしながらドアの隙間から頭を引っ込めようとした。
ところが、その瞬間ふと閃いて、思わず彼女に尋ねていた。
「ね、ねえ・・・昨日から外科に実習生が来てるって聞いたんだけど、もしかして・・・?」

「あっ・・・は、はい!私です。」
彼女が、緊張した面持ちで答えるのを、私はおそらく酷く驚いた顔で見ていたに違いない・・・

「斗南大医学部から実習にきました神谷美咲です。昨日から入江先生にお世話になってます。
よろしくお願いします」

もちろん、彼女の自己紹介など私の耳には半分も届いていなかった。
私は、結局何の返事もしないまま医局から逃げ出した・・・返事などできる状態ではなかった。

だって・・・

―実習生が女の子だなんて、ひと言も聞いてないよーーー!!

私は、ナースステーションに向かって走るように廊下を歩きながら、混乱する頭で懸命に考えていた。

確かに昨日外来から医局へ戻る入江君と廊下で会った時、西垣先生の代わりに実習生の指導を
することになったからしばらくは日勤が続くとは言っていた。
その時私は、まだつい最近まで研修医だった入江君が、もう医学生を教える立場になるなんてす
ごいと喜んだばかりだった。

でも・・・

―女の子だったなんて・・・

『入江先生〜ここがわからないんですぅ〜教えてくださーい』
甘えた声で入江君にしなだれかかる実習生の姿が浮かんだ。
『どれどれ、見せてごらん?』
実習生を振り払うこともなく、余計に顔を寄せるようにしてカルテを覗きこむ入江君の姿が浮かんだ。

「やめてやめて〜!!」
私は、ありえない妄想を頭の中から追い出そうと思いっきり頭を振りながら叫んでいた。

―入江君に限って、そんなことあるわけない!!

心の中でそう叫んで拳を強く握っても、すぐにその後ろから悪魔が顔を出して囁いた。

―でも、とっても奇麗な子だったし、私より若いし・・・

そして、やはり最初に思った疑問が頭を持ち上げてくる・・・
「どうして昨日会った時に実習生が女の子だって言ってくれなかったの?・・・私がこうやってやきも
きするから面倒だったの?それとも男も女も入江君には関係ないってことなの?・・・」
私は、声に出してつぶやいていた。
自分の狭い心に嫌気がさしながらも、それでも納得できずにうなだれていた。

『まったく、お前は何考えてんだ?・・・そんなにオレのことが信じられないのか?』
頭の中に、入江君が怒ってる姿が浮かんできた。

―信じてる・・・信じてるけど・・・でも、やっぱり気になっちゃうよ・・・

私は、ナースステーションに戻っても、神谷と名乗った実習生の姿が目の前にちらついて悶々とし
ながら引き継ぎを済ませた。



「琴子!なにぐずぐず着替えてんのよ〜?・・・私寄るところがあるんだから早くしてよ!」
幹ちゃんが、更衣室の外で叫んでいるのが聞こえて、私はまだ自分がナース服のままだったこと
に気が付いた。
私が、更衣室から顔を出すと、幹ちゃんが呆れた顔で言った。
「何よ琴子!まだそんな格好してるの?・・・どうしたの?あんたさっきから変よ。何かあったの?」

「ううん、何でもない。幹ちゃん先に帰っていいよ。私、ちょっと入江君に会ってから帰るから・・・ご
めんね」
私が、あまりにもしょんぼりとしてると思ったのか、幹ちゃんは「ホントに大丈夫?」と何度も聞いて
くれてから帰って行った。

次々と夜勤だったナース達が帰って行き、私はいつのまにか更衣室にひとりきりになっていた。
腕時計をふと見ると、もう外来の始まる時間になっていたる・・・
きっと今頃は入江君も出勤して、あの実習生を連れて患者さんを診ていることだろう。

―もう、帰らなくっちゃ・・・

私は、のろのろと立ち上がると、更衣室を出て職員用の出入り口へ向かった。
ところが、途中、外来の総合受付の前を通りながら顔見知りの事務職員に挨拶をしていると、廊下
の向こうから勢いよく走ってくる女性医師が見えた。

―あっ、彼女は!

そう、彼女は間違いなく入江君が指導医をしている実習生だった。
ひどく急いでいるようで、白衣の裾を翻しながら外科外来の診察室に駆け込んで行った。

セミロングの髪が揺れてキレイだと思った。
私より、ずっと背が高くてそれでいてとてもスリムに見えた。
何よりも白衣が似合って、とても知的に見えた。

―ああ〜もうダメ!!

私は、どうしようもなく膨らむ妄想を振り払うようにして、歩き出した。

どうしても、確かめたかった。
後で、どんなに入江君に怒られたとしても、このまま帰って家で悶々と帰りを待つよりはましだと思
った。

―そうよ・・・ちょっとだけ入江君の顔が見れたらそれでいいから・・・

私の足は、当然のように出入り口へは向かわずに、外科外来の入口へ向かって歩いていた。


                                            つづく


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