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 やきもちも恋のスパイス<2>  彼に恋した10日間・番外編

―私ったら、何やってんだろ・・・

私は、外科外来前に並べられたベンチの一番後ろの一番端っこにこっそりと座って今日何度目か
の大きなため息をついた。
入江君を信じていないわけじゃない・・・それでも今こうしてここに座って動けないでいるのは、信じ
ていないからだと言われても仕方のないことだと自分でもよくわかっていた。

―やっぱり入江君に見つからない内に帰ろ!・・・

私は、とうとう順番待ちの患者さんが一人もいなくなったベンチを見回しながらノロノロと立ち上がった。
もう昼もとうに過ぎた時刻に私が病院にいることで、不思議そうに声をかけてくる同僚達に曖昧な笑
顔を向けながら私は出口に向かって歩き始めた。
ところが、ふと背後でドアが開け閉めされる音が聞こえて何気なく振り返ると、驚いたことに外科外
来の診察室から入江君と実習生が出てくるのが目に飛び込んできた。
私は咄嗟にすぐ横の太い柱の陰に隠れて、2人が目の前を歩いて行くのをやり過ごすと、2人の様
子を伺いながら次の柱へ次の柱へと移動して行った。

途中、実習生が少し前を歩く入江君に身を乗り出すように話しかけているのが見えた。
それでも振り返った入江君は、ほとんど表情を変えることもなくすぐにまた前を向いて歩き始めた。
私は、そんな入江君の様子を見ていて、少し自己嫌悪を感じていた。

―ほら!いくら若くてキレイな実習生だからって入江君に限って何かあるわけないじゃない!

今さら、自分で自分を叱ってみたところで、心配でどうしようもなくて尾行まがいのことをしている事実
は消えない・・・
私は、2人に背を向けるように柱に寄りかかってうなだれていた。

―ホントに帰ろ。

そう思った矢先、もう随分と先へ行ってしまっただろうと思っていた入江君の声がすぐ近くで聞こた。
「ちょっと一緒に来て」
やけにはっきり聞こえた入江君の声は、確かにそう言っていた。

―ええ〜どこに??

私は、思わず柱の陰から顔を覗かせた。
すると、入江君と実習生が病院の中庭に続くドアを開けて外へ出ていく姿が目に入った。

―な、中庭に出て何するのーーー?!

私は、たった今反省して帰ろうと決心したことも忘れて、中庭の垣根の向こうに見えなくなった2人
を追いかけて外へと飛び出していた。



2人の姿を探して中庭に出ると、キレイに刈り込まれた植栽の前に立っている入江君が見えた。
こういう時、背の高い人は実に探すのが簡単などと変なことに感心しながら、それだけ視界も広い
のだと思いなおして、私はすぐ手前の植栽の陰に身を低くして隠れた。
細かく密集した植栽の枝の隙間から覗いていると、入江君が車いすに座った患者さんに話しかけ
ているのが見えた。

思わずうっとりと見つめていたいような優しい微笑みを浮かべて、入江君は熱心にその患者さんと
話しをしていた。
隣に立っている実習生は、時折手に持っているファイルに何かを書きこみながら、入江君と患者さ
んを交互に見ていた。

―なんだ〜担当の患者さんがいたのか・・・

私は、大げさなほどほっとして、そしてまたすぐにチクチクと罪悪感が胸を刺すのを感じていた。

―もう〜ホントにホントに帰ろ!

そして、しゃがんでいた植栽の陰から立ち上がろうとした私は、その時になって初めて自分の置か
れている状況に愕然とした。
病院の中庭には、立ちあがっても身を隠せるようなものが何もなかった。

―ええ〜どうしよう〜〜!!

今ここでうっかり立ちあがってしまったら、すぐそこで患者さんに話しかけている入江君にきっとす
ぐに見つかってしまう。
私は冷や汗を拭いながら、ことさら身を低くして早く入江君と実習生が立ち去ってくれることを祈っ
ていた。
そして、いよいよ足も痺れてどうしようもなくなった頃、「じゃあ戻ろうか」という入江君の声がやっと
聞こえ来た。

―やった!!

私は、それでも慎重に2人の様子を伺いながら、2人と大分距離をとって歩き始めた。
病院の建物に沿って歩いていると、昼を過ぎたころから強くなってきた風に入江君の白衣が翻って
いた。
風を受けて歩く後ろ姿もなんて素敵なんだろうと思いながら、それでも見つからないようにそろそろ
と進んでいると、突然、私の髪を巻きあげてつむじ風のような強い風が吹き抜けて行った。
思わず悲鳴を上げそうになるのをなんとか堪えて髪を手で押さえていると、少し前を歩いていた実
習生が何か叫んでいるのが聞こえて思わず建物の陰からそちらを見た。
すると、彼女は風に舞いあげられた何かを追って懸命に手を伸ばした途端、まるで足をすくわれた
ように仰向けにひっくり返ってしまった。

―あらら・・・転んじゃった!

私は、ギリギリまで顔を出して様子を見ていた。
驚いた入江君が彼女に駆け寄り、背中を支えて上半身を起こしてあげると、彼女が苦笑いを浮か
べているのが見えた。
ところが、すぐに立ち上がると思っていた2人がなかなか立ち上がらず、入江君があたりを見回し
ながら携帯電話を取り出すのが見えた。
彼女の様子は、ちょうど入江君の陰になっていて私のいるところから見えない・・・私はもしかした
ら捻挫でもしたのかと心配になりながらも、その場から動けずにいた。

しかし、その時、耳を疑うような声が聞こえて来た・・・

「おい琴子!・・・その辺に隠れてるんなら出てきて助けてくれ!」

―えっ?・・・・・・・えええ〜〜〜〜!!

私は、血の気が引く思いで、隠れていた狭い隙間でおろおろとしていた。
それでも、もう逃げも隠れもできないと諦めて一歩前へ出ると入江君の顔を見ながらつぶやいた。
「な、なんでわかったの?・・・」

「まったく・・・こそこそつけて来やがって、最初からわかってたよ!夜勤明けはさっさと帰れ・・・
そんなことより、出血してるんだ。お前何か縛る物持ってないか?」

私は入江君の言葉に、思わず実習生の元に駆け寄った。
「わっ!・・・転んだだけだと思ったら、足切っちゃったのね・・・」
私は、彼女の足から流れているたくさんの血に驚きながら言うと、すぐに自分の首に巻いていた
スカーフを外して入江君が抑えている傷口を縛った。

「このままオレが運ぶから、お前は先に初療室に行って洗浄と縫合の準備をしておけ!」
「うん、わかった!」
私は、今まで自分がしていたことへの後ろめたさも手伝ってことさら真剣に返事をすると、病院の
建物の中へ駆け込んで行った。



私は救急外来の初療室に飛び込むと、丁度その前の患者の手当てが終わって片づけをはじめ
ていたナースを捕まえて事の次第を説明した。
ナースが手際良く準備を始めると、実習生を抱きかかえた入江君が初療室に入って来た。
そして、実習生をベッドに横たえると、すぐに処置が始まった。

「オレが縫合する」
入江君のきびきびした指示が飛んで、私は初療台を囲むカーテンを引いて外へ出た。

ふと、初療室の隅の台の上に血のついた白衣が丸めて置かれているのが目に入った。
それが入江君の優しさの表れだということくらいよくわかっている・・・
だから、入江君が実習生を抱いて入って来たのを見た時、ズキンとした痛みを胸に感じた自分に
私はまた自己嫌悪していた。

―入江君は、医者として当然のことをしただけなのに、私ったら・・・

しばらくすると、カーテンが開いて入江君だけが中から出て来るのが見えた。
私は、入江君の白衣を抱えながら、廊下に置かれたベンチから立ちあがった。
入江君は、何事もなかったように私の前に立つと小さなため息をひとつ付いて「まったく・・・」とつ
ぶやいた。

「ご、ごめんなさい!」
私は、何よりも先にまず謝って、入江君の顔を見上げた。
すると、入江君は私を恐い顔で睨みつけると、もう一度ため息を付いてから言った。
「今すぐに家に帰れ。オレも今日は定時で上がるから、話しは帰ってから聞く」

―ひえー!ー入江君、すごい怒ってる?!

私が顔を引きつらせながら何とか頷くと、入江君は私をもうひと睨みしてから行ってしまった。



私は、言われた通りにすぐに病院を出た。
罪悪感と自己嫌悪に、さらに後悔の念と怒られる恐怖が加わって、もう涙すら出てこなかった。


                                                 つづく


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