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 女神のくちづけ 〜直樹Version〜  <1>  

<俺、どうせ天才に生まれるなら、あんたに生まれたかったよ・・・>

オレは、桐生聡志が出て行った医局のドアを見つめながら、たった今聞いたあいつの言
葉を思い浮かべていた。
この言葉に込められたあいつの想いは、きっとオレにしか理解できないだろう・・・
もちろん、叶えてやれる望みではない・・・それでも、同じ天才と呼ばれ同じように未来を
見つけた者同士にしかわからない不思議な感情が芽生えていることは確かだった。

オレの2世だと言われ続けたことで、きっとあいつはオレと琴子の前に現れた。
そこには偶然などありはしない、オレが琴子に出逢って今ここにいるように、あいつもオ
レ達に出会うことで、見つけなければならなものを手に入れたのだから・・・

―ふっ・・・仕方ないな・・・

オレは、あいつが出て行った医局のドアを開けて廊下に出ると、まっすぐに外科病棟の
ナースステーションへ行って、琴子を呼び出した。
奥の部屋から、驚いた顔で飛び出してきた琴子は、廊下の壁に寄りかかっているオレ
を見つけて満面の笑みを浮かべた。
「どうしたの〜?入江君がわざわざ私を呼びに来るなんて、珍しいね〜!」
琴子が、うわずった声で喜びを現す。

オレは、何かを期待してワクワクとオレを見つめている琴子に向かって「ちょっと、一緒
に来いよ・・・」とひと言だけ言うと、先に立って歩き始めた。

「えっ?どこ行くの・・・入江君!ねえ、ちょっと待ってよ〜!」

慌てて追いかけてくる琴子の足音を後ろに聞きながら、オレは屋上へ続く階段を上って
行った。



琴子が、最初にあいつの名前を口にしたのはもう随分前のことになる。
きっと、オレはその時から何かしら胸に引っかかるものを感じていたのかもしれない。
それは、ただ琴子の口から知らない男の名前が出てきたからというだけでは、理由にな
らない感情・・・

<入江2世が、実習に来ているらしいぜ>

ICUに詰めている時に、先輩医師から、そう聞かされた時には何の興味も抱かなかった
オレに、”桐生聡志”という名を刻み付けた琴子の言葉・・・

あれは、重症の心臓疾患の患者の手術後、ずっとICUに詰めていたオレが四日ぶりに
家に帰った時のことだった。

オレは、疲れきった体をベッドに投げ出すように横たえ、隣に滑り込んできた琴子を、腕
の中に引き寄せた。
ずっと緊張していた頭と体が、四日ぶりの琴子の香りに癒されて、やっと安堵して眠れる
と想った瞬間に琴子がオレに聞いた。
「ねえ、入江君は桐生君知ってるでしょう?」

不意に聞き慣れない男の名前が琴子の口から飛び出して、オレはそれだけで不快感を
あらわにして聞き返した。
「誰だ?そいつ・・・」

しかし、琴子はそんなオレの気持ちになどお構いなしに話を続けた。
「あれ?知らないの?・・・最近、病院に来た康南大の実習生のひとりだよ・・・入江君み
たいなすごい天才なんだって!」

オレは、その時初めてICUで先輩医師たちが噂していた「入江2世」のことを思い出した。
「ああ、オレの2世とか言われてる奴のことか?・・・」

「うんうん、そうそう・・・その桐生君がね、いつもいつも私が失敗するところを見て笑うか
ら頭に来て今日文句をいってやったの!入江君2世なんて言われてるけど、私は最初
は全然違う!って思ってたの・・・でもね、イジワルな感じがちょっと似てる気もしてね!」
琴子は、そう言うとオレのことをちらりと見上げてクスクス笑った。

「どういう意味だよ・・・」
オレも、眠くて重くなった瞼で何度もまばたきをしながら、笑って答えた。

そうさ・・・そこまで聞いた時には、琴子の口から男の話題が出たことで、多少不快に思
いながらも、まだ冷静に話を聞いていられた。

「でもね、私ちょっと思ったんだ・・・」
琴子が、不意に含みを込めた言い方をして、一旦言葉を切った。

「何を?・・・」
オレは、そこまでの話の展開上、次に琴子が発する言葉がおそらくその入江2世への、
親しみを込めたものになるだろうと予想しながら、聞き返した。

「それまでずっと誰かの2世なんて呼ばれ続けてきて、きっと嫌な思いをしたんだろうなっ
て思ったら、なんだか桐生君が可愛そうになってきちゃったの・・・確かに入江君は天才で
桐生君も同じような天才かもしれないけど、やっぱり自分のことはちゃんと自分として見て
欲しいよね?・・・私はそう思うの・・・」
琴子は、やけに真剣に熱っぽくそう語った。

―やっぱりな・・・

オレは、オレのあごの下に納まった琴子の頭を無意識に撫でながら、あまりに琴子らしい
言葉に思わず微笑んでいた。
そして、それと同時に、その桐生という実習生のことが気になりだしていた・・・

「それで?・・・お前はそう思ったことを、その桐生ってやつに言ったのか?」
オレは、さりげなく一番気になることを琴子に聞いた。

「うん、言ったよ・・・そしたら桐生君、怒ったように黙り込んじゃって、もしかしたら見当違い
だったのかなと思った時に、点滴交換のこと思い出して別れちゃった・・・あっ!ほら、その
時に入江君とも廊下で会ったよね?あの前まで、桐生君と話をしていたんだよ・・・」

そして、その後黙り込んでしまったオレの言葉を待ちきれず、琴子はいつの間にか静かな
寝息をたてていた。
オレは、力の抜けた琴子の体をあらためて抱きしめながら、すっかり眠気の飛んでしまっ
た頭で考えていた。

琴子は、人間の心理というものをよくわかっていない・・・
琴子の言葉に、桐生が怒ったように黙り込んだということは、それが奴にとって核心を突い
た言葉だったということに他ならない。
この世には、天才など五万といる・・・それでも、オレの2世と呼ばれていたということは、や
はりきっとどこかオレと似たところがあったからなのだろうと思える。
だとすれば、桐生が黙り込んだあとに何を考えていたかもある程度は想像がつく・・・

オレは、嫌な予感が胸の中に湧きあがってくるのを感じていた。

―琴子・・・お前の言葉で目覚めるのは、オレだけでいいじゃないか・・・



そう・・・あの時、オレはそんなことを考えながら、琴子を抱きしめて眠った。
そして、オレは、そう時をおかずにその予感が当たっていたことに気付くことになる・・・

「入江2世」と呼ばれた男、桐生聡志・・・
奴が、まるで琴子と出会う前のオレそのものだったということに・・・


                                           つづく


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