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 天才の弱点 <1>  心理カウンセラー:一条紗江子

斗南大学病院の、小児病棟と外科病棟の間に私の部屋はある。

『臨床心理カウンセラー・一条紗江子』と書かれたプレートの下の『不在』の札を裏返して
『在室中』になおすと、私は部屋には入らずにすぐ目の前にあるナースステーションに顔
を出した。

「一条先生、おはようございます」
口々に挨拶をするナース達に笑顔で返事を返す。

「桔梗君、503号室の佐藤さん、昨夜はよく眠れているようだった?」
私は、看護士の桔梗幹に担当患者の様子を聞いた。

「あら〜一条先生、おはようございます・・・今朝もメイクばっちりでキレイだわ」
桔梗幹は、ナースキャップに憧れるおかま(そう言うと本人は怒るけど)の看護士・・・
かなりクセはあるが、どこか憎めないキャラで患者さんにも好かれているようだ。

「はいはい、ありがと。幹ちゃんもお肌ツルツルで今朝もとってもきれいよ・・・それで?
佐藤さんは?」
「はい、これがカルテ・・・佐藤さんは、ちゃんと眠れていましたよ。今日で4日目ですから
もう大部屋に移しても大丈夫じゃないですか?」
桔梗幹は、カルテを差し出しながら答えた。

「そう、それじゃ、後でもう一回カウンセリングしてから決めるわ・・・あと、それから」 
「きゃあー来た来た!」
私が、渡されたカルテを見ながら答えていると、突然ナース達の間から悲鳴があがり私
の話は遮られた。

教授の朝の回診が始まったらしい・・・
これで、しばらくはナース達にも何も聞くことはできない。
私は、ナース達全員が熱い視線を送っている先を一瞥すると、ため息をついてから自分
の部屋のドアに手をかけた。
病棟の長い廊下を曲がって、白衣を着た医師達の集団が見えて来ると、ナース達が口
々に囁きだす。

「入江先生いる?」 「いるいる!」 「きゃあどこどこ?」 「ほら、頭ひとつ出てるじゃない」 
「いつ見ても、ハンサムね〜」 「きゃあ、こっち見た!」

第3外科の若き医師、入江直樹。
彼の歩くところには、必ずと言っていいほどこうした黄色い悲鳴が上がる。
当の本人は、まったく意に介さず、淡々と通り過ぎていくところが、さらに看護士たちの熱い
視線の的になっていた。
私は、教授の斜め後ろを歩く入江直樹の姿を確認すると、ドアを開けて部屋の中に入った。

私がこの病院の心理カウンセラーとして常駐するようになって、もうすぐ3ヶ月になる。
私の資格は臨床心理士・・・事故や病気などで、体だけでなく心にも深い傷を負った患者の
心のケアをすることが仕事だ。
だから私の部屋は、特にそういった患者の多い外科と小児科の近くに設けられ、いつでもす
ぐにカウンセリングができるようになっていた。

私は、自分のデスクにカルテを広げて、外の騒ぎが収まるのを待っていた。
ほどなく、ドアの擦りガラス越しにたくさんの人影が通り過ぎて行くのが見え、急に外が静か
になった。

―やれやれ、入江直樹か・・・毎朝の恒例行事とはいえ、こっちはいい迷惑だわ。

私が心の中でぼやいていると、部屋のドアがノックされた。
「はい、どうぞ・・・」
「失礼します」
私は、顔を上げておそらく驚いた顔をしていただろう・・・ドアを開けて入ってきたのは、たった
今私が迷惑だとぼやいた当の本人、入江直樹だったからだ。

「あら、入江先生・・・教授の回診中じゃないの?」

「ええ、そうなんですが、一条先生に私の担当患者のカウンセリングをお願いしたくて伺いま
した」
入江直樹は、そう言うと私の前に一冊のカルテを差し出した。

「あとでもう一度、ご説明に伺いますので、とりあえずそのカルテに目を通しておいていただ
けますか?」

「ええ、わかりました」
私は事務的に答えると、彼が差し出したカルテを受け取った。
そして、入江直樹が足早に部屋を出ようとドアに手をかけた瞬間、反対側から勢いよくドアが
開いて桔梗幹が入ってきた。

「一条先生〜さっきの話の続き、すっかり忘れちゃって、ごめ・・・きゃあ、入江先生!!」
桔梗幹は、ドアの横に立って額を擦っている入江直樹を見つけて再び悲鳴をあげた。

「いてえじゃないか!ちゃんとノックしてから入って来いよ!」
入江直樹が桔梗幹を睨む。

「ええ?私がぶつけちゃったの?・・・ごめんなさい。あっ、そうそう今日は私も琴子も夜勤明
けでもうすぐ帰るんで、これから入江家でママのお昼ご飯ご馳走になりに行くんですよ、お
邪魔しますね」
桔梗幹が、入江直樹にウィンクをしてみせる。

「ふーん、そうか・・・それじゃ、一条先生よろしくお願いします」
入江直樹は、桔梗幹にそっけない返事を返すと、私に軽く会釈して部屋を出て行った。

私は、入江直樹の消えたドアをしばらく眺めていた。
すると、ふいに桔梗幹の顔が私の目の前に現れて、ニヤリと笑って言った。
「あら?一条先生ったら、熱い視線・・・ダメよ、入江先生はずっと年下でしょ?」

「失礼ね!ずっとじゃないわよ、ちょっとよちょっと!たった4つしか違わないじゃない?」

「やあね〜そんなにムキにならないでよ〜でも、まさか一条先生まで入江先生のこと?」
桔梗幹は、興味津々としった面持ちで私の顔を見ている。

「ち、違うわよ。彼に恋愛感情なんてこれっぽっちもないわ・・・ただね・・・」
私は、缶コーヒーでも買おうかと小銭をポケットに入れて立ち上がった。

「ただ?・・・」
興味深げに聞き返す桔梗幹を促して部屋を出る。

「彼の精神構造にとても興味があるの・・・」
私は、振り返りながらつぶやくように言った。

「えっ?・・・」
桔梗幹が不思議そうな顔で私を見ている。


頭脳明晰、冷静沈着、品行方正にして、背も高く、ハンサム・・・
研修医ながら、ベテラン医師をも唸らせる腕と知識で、患者からの信頼も厚い。
自信に満ち溢れたその佇まいと、プライド・・・
まさに非の打ちどころのない医師とは、彼のことを言うのではないかと思う。

しかし、私は職業柄よく知っている・・・
人間には、必ずもろい部分があるということを・・・そして、それを支えるための心の拠り所
を必ずもっているということも・・・
人の命と向き合う医学の世界で、常に完璧な精神状態でいることは、どんなに強い人間
でも無理に等しいと私は思っている。
それは、この病院に勤める医師や看護士たちも例外ではない。

この病院に赴任して、まず私がしたことは同僚となる医師や看護士たちを、さりげなく観察
してその心理を見抜くこと。
健常な人間であれば、まず十中八九はいとも簡単に心理を読み取ることができる。
相手のことがわかっていれば、おのずと付き合い方もわかってくるし、ある時にはそれが私
の武器にもなる。
しかし、不思議なことに、ただひとり入江直樹の心の奥だけは、どうしてものぞくことが出来
なかった。

仕事の話をする時はもちろん、世間話をしている時でも彼は決して私に心を開こうとはしない。
しかし、それは決してかたくななものではなく、元々彼は強い意志で自分の心を隠す術にた
けているのだと私は判断した。

なぜだろう?

彼をそこまで完璧に支えているものはなんだろう?
誰にも心を許さずに、どうして人と関わる仕事をしていられるのだろう?
彼は本当の自分をどこで見せているのだろう?

彼のあの鉄壁の仮面がはがれるところを見てみたい・・・
今ではそんな欲求すら持つようになっていた。


「おう、幹。もうすぐ明けだろ?」
「あら、啓太!このあと、琴子んちでお昼ご馳走になるのよ。あんたも行かない?」
「琴子の作る飯なんて、まずくて食えるかよ!」
「あら、ちがうわよ。入江ママが作ってくれるのよ・・・そこらのレストランなんかよりずっと
美味しいでしょ?」

ふいに、桔梗幹と鴨狩啓太の会話が耳に飛び込んできて、私は我に返った。

「ねえ、桔梗君と鴨狩君は入江先生とは、プライベートでも知り合いなの?」
ふと思い立って聞いてみる。

「ふん!」
鴨狩啓太が、鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「知り合いって言えば、知り合いね・・・」
桔梗幹は、含みを込めた言い方で答える。

「じゃあ、ひとつ聞いていい?」
小声で聞いた私に、二人が顔を寄せてくる。

「入江先生の弱点って何だと思う?」
私の唐突な質問に、二人が顔を見合わせている。
しかし、あごに指をあてて考え込んだ桔梗幹を横目で見ながら、鴨狩啓太がつぶやいた。
「琴子だな・・・」

すると、桔梗幹も笑いながらその答えを肯定した。
「そうね、琴子ね・・・」

「琴子って、彼の奥さんの?・・・」
私は、思いもよらない答えに二人の顔を交互に見ながら聞き返した。
すると、二人が同時に大きく頷いた。

入江琴子・・・同じこの病院のナース。
見た目はどこにでもいそうな普通の女の子・・・看護士としてはとても優等生とは言えな
い武勇伝をあれこれ聞いたことがある。
ただ、入江直樹の妻としては役不足な感が否めないとは思うその彼女が、彼の弱点とは
あまりに意外な答えだった。

「一条先生、今意外だって思ってるでしょう?」
鴨狩啓太が、私の顔を覗き込むように言いながらニヤリと笑う。

「え、ええ・・・」

「ここのところ、琴子が失敗もしなけりゃ、騒ぎも起こさないからわからないんですよ・・・
一条先生、ここへ来てまだ3ヶ月ですからね」
鴨狩啓太の言い方は、まるでからかうようでいて、なぜかその陰に深い慈愛を感じさせ
る響をもっていた。

「そうね・・・」
桔梗幹も鴨狩啓太の言葉に納得したように微笑んだ。


私は、彼らの話を聞いて益々入江直樹への興味を強くしていた。
入江琴子が、彼にとっていったいどんな位置を占めて存在しているのか?
二人を語る、桔梗幹と鴨狩啓太の意味あり気な微笑みの意味は何なのか?

そして、その答えは意外にも早く私の知るところとなる。
まさか、彼が私の患者になるとは、その時の私は思ってもいなかった。

そう・・・それは、入江直樹が私に依頼した患者へのカウンセリングが初めて行われた日・・・
病院の庭に植えられた赤いチューリップが、一斉に花を咲かせた暖かな春の午後の出来
事だった。


                                                つづく


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