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 特等席より愛を込めて・・・

学食の片隅・・・太い柱の陰に、忘れられたように置かれた二人掛けのテーブルがある。
そこははオレの特等席。
誰にも邪魔されずに本を読みたい時、ゆっくりとひとりになりたい時、琴子に見つかりたく
ない時・・・そこは、オレにとって、絶好の隠れ家になる。



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その日もオレは、柱の陰になる椅子に腰掛けて、少し遅めのランチを食べていた。
もう午後一番の講義が始まっているが、オレは講義のない時間だった。
だから琴子が現れる心配はないが、次の講義で提出するレポートをもう一度見直そうと
思い、一人このテーブルを使っていた。


片手に箸を持ちながら、自分の書いたレポートを読んでいると、背後がにわかに賑やか
になり、どこかの学部の学生が数人、柱を挟んで丁度反対側の席に陣取った。
男ばかりのグループなのか、話題は女のこと・・・どこの学部の誰がどうしたこうしたとい
った話が延々とつづく。
まだ次の講義までには時間があったが、うるさくて気が散る・・・オレは、せっかくの時間
を邪魔されて、少しムッとしながらレポートをバッグの中にしまい、席を立とうとした時、ふ
いに聞こえてきた名前に動きを止めて耳を澄ませた・・・


「そういえば、保育科の相原琴子って知ってるか?」
「誰だよ、それ・・・」
「最近、俺の友達が保育科の女と付き合い始めてさ、ちょっと覗きに行った時に見つけた
んだけど、これが俺好みでさ・・・誰か付き合ってる奴とかいるのかな・・・」
「おいおい、マジかよ・・・それで?どんな子なんだ?」
「ああ、それがさ結構ドジでさ、見ててハラハラするって言うか、なんか守ってやりたくな
るって感じかな・・・とにかく笑顔が可愛いんだ」
「へえ、見てみたいな〜お前、アタックしてみろよ!」
「あはは・・・どうしようかな・・・」

オレは、この会話を聞きながら思わず吹き出しそうになった。


―琴子を可愛いだって?守ってやりたくなるだって?


思わず声をあげて笑い出しそうになり、慌てて口を押さえた。
オレは、琴子を気に入ったという奴の顔が見てみたくなり、バッグを持って立ち上がった。
テーブルの横を通りながら、そ知らぬ顔でその学生達の顔を一瞥する。
テーブルにいた学生は4人・・・みんなが注目しているところからみて、オレのいた柱の
丁度真裏に座っているのが、琴子を気に入ったと言っていた奴だと思えた。


―ふーん、物好きもいたもんだ。


オレは、自分自身がその”物好き”の一人だということなどすっかり棚の上にあげて、込
み上げる笑いをこらえながら学食を後にした。


―あいつら、琴子が結婚していることを知らないんだな・・・


この大学は広い・・・ましてやオレと琴子が結婚したのがオレの休学中だったということも
あって、以外と知られていないのだということを、今日の出来事で実感した。
オレはその後の講義を、なんだか妙な気分で受けると、普段通りに家に帰った。


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「入江君、これ食べてみて〜今日はがんばったのよ。お義母さんも大丈夫だって言って
くれたの〜!」
夕食の席で琴子の差し出した料理を食べる。


―マズイ・・・


しかし、今夜のオレはなんだかいつものように、毒舌で琴子に文句を言う気にもなれず、
苦笑いを浮かべて、いいとも悪いとも言わずに口を動かしていた。


「どう?どう?・・・」
琴子がオレの顔を覗き込んで、満面の笑みで聞く。


―この笑顔が、可愛いとはね・・・


オレは、琴子の問いには答えず昼間の学生の言葉を思い出しながら琴子の顔を見ていた。


「マズイに決まってんだろーお兄ちゃんも呆れてものが言えなんだよ!」
何も言わないオレに業を煮やして裕樹が文句を言う。


「あーあ、やっぱりだめか・・・」
がっかりとした顔で、ドスンと椅子に腰掛けた琴子を見ていると自然に笑みが浮かんだ。


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食事も風呂も終って、あとは寝るだけといった時刻、オレは部屋のパソコンでゲームをし
ていた。


「入江くーん!開けてー洗濯物がいっぱいで、ドアが開けられないの〜!」
ドアの向こうで、琴子の呼ぶ声が聞こえる。


オレは、ゲームの手を止めて立ち上がると、ドアを手前に引いて開けてやった。


「ありがとーー!タオルとかいっぱいで、前が見えないよ。あはは・・・」
顔の前まで積みあがった洗濯物を持って、琴子が部屋の中に入っている。


「一度に持ってこようとするからだろ。考えろよ!」
オレは、いつものことながらひと言文句を言って、琴子に背中を向けた。

「うん、わかってるんだけどね・・・えへへ・・・あっ!きゃーー」


琴子のすごい声に振り向くと、抱えていた洗濯物をあたりにぶちまけて、琴子がベッドの
上にひっくり返っていた。
オレは天井を仰いでため息をついてから、琴子の腕を掴んで体を起こしてやった。


「えへへ・・・またやっちゃった。やっぱり入江君の言うとおり分けて持ってくればよかった
ね・・・」
琴子が、上目遣いにオレを見ながら舌を出す。


「まったく、あたり前だろ!」
オレは、呆れた顔で言うと、パソコンの前に戻った。


「あーあ、せっかくたたんだのになぁ〜」
琴子がぼやきながら、ベッドの上に座って散乱した洗濯物を集めている。


―ドジだけど、守ってやりたくなるって?・・・どこがだ!こんなのが毎日だぞ。


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翌朝、目覚まし時計の音で目を覚ますと、琴子はアラームの音などお構いなしに、
ぐっすりと眠っている。



―まったく・・・目覚まし時計なんて意味ないじゃないか・・・


オレは、まったく起きる気配のない琴子の前髪を指先でそっと持ち上げると、その額に唇
を押しあてた。そのまま目尻のあたりから頬へと唇を滑らせる・・・そして琴子の形のいい
耳に唇が触れた瞬間、オレは大きく息を吸い込んだ・・・

「おい、こら!起きろ!!」
オレは、琴子の耳に向かって怒鳴った。


「きゃっ!」
琴子が小さな悲鳴をあげて、大きな目をパチリと開けた。
琴子は、わけがわからないといったようにあたりを見回している。


「おい、時計見てみろよ!寝坊じゃないのか。また慌てて朝飯作って、丸焦げの目玉焼き
食わせるつもりかよ・・・」
オレはニヤニヤと笑いながら、きょとんとオレを見上げている琴子に言った。


「えっ?・・・きゃーホントだ、こんな時間!!寝坊しちゃったぁ〜!!」
琴子は、勢いよくベッドの上に起き上がると、あわてて部屋から飛び出していった。


―はあ・・・いつになったらまともに起きられるようになるんだ・・・


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「今朝は、入江君が起こしてくれたから、目玉焼きもちゃんとできたよ」
琴子がニコニコしながら、オレに皿を差し出す。


「でも、パンが丸焦げじゃないか・・・」
オレは、積み上げられたトーストの中から、少しでも焦げていないものを探しながら言った。


「えへへ・・・ごめん。二つのこといっぺんに出来なくて・・・」
琴子が、苦笑いを浮かべながら言う。


「もういいから、コーヒーくれよ」
琴子は、キッチンから持ってきたデキャンターからオレのカップにコーヒーを注ぐ。
オレは、それを一口飲んで、ほっと息を吐き出した。
不思議と、コーヒーだけは琴子の入れたものが一番美味いと思う。


―でも、それだけだ・・・まあ、琴子には一生まともな主婦業なんてできないな・・・


ただ、オレはそんなことはこれっぽっちも望んじゃいない・・・そんなこと望んだらこいつ
との生活なんて一日だってもたないさ。
それでも琴子が一緒にいる暮らしは、それを補って余りあるものだということを、オレは身
に沁みて知っている・・・

―ん?・・・オレは、なんであらためてそんなこと考えてんだ?

昨日の学食で、琴子を気に入ったと言っていた学生のことが頭に浮かんだ。
たとえ、その学生が琴子にアタックしたとしても、琴子がなびいたりするわけないことはわ
かっているのに、琴子を、そういう目で見ている奴がいるってことが気に入らないんだ。


―オレの悪いクセだな・・・

金之助の時も、中川の時もそうだった。
琴子がオレしか見ていないことは十分にわかっているのに、なぜか放っておくことができ
なかった・・・


―プライドか?・・・いや、ちがうな。認めたくはないが、こういうのをやきもちって言うんだ。


オレは、横に座る琴子の顔をちらりと見た。
オレの視線に気づいて、琴子が「何?」という風に、首をかしげる。
オレは、首を振って琴子から視線を外した。


―どうして、オレはこんなにもこいつに惹かれるんだろう・・・


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その日の昼時・・・オレは、クラスメートの誘いを断わって、またひとりでオレの特等席に
座っていた・・・なんとなく、ひとりでいたかった。
今日は、まともなランチタイムだったが、その席だけはやはりぽっかりと空いていた。
学食の中央あたりから、琴子の声が聞こえていたが、みつかるとうるさいと思いそのまま
振り向くことはしなかった。


「おい、あそこに座ってるのが、昨日言った相原琴子だよ!」
ふいに、昨日柱越しに聞いた声が耳に飛び込んできて、オレはびっくりして振り向いた。
琴子に見つからないようにそっと頭をめぐらせて、声の主を探す。
すると、ランチの乗ったトレーを持って、席を探している2,3人の学生の中に昨日見た奴
の顔を見つけた。


「へえ、結構かわいいじゃないか・・・行ってみようぜ、話をするチャンスじゃないか!」
一緒にいる友達がたきつけている。
「そ、そうか?・・・そうだな、よし行ってみよう!」

耳を済ませていると、「ここいいですか?」「ええ、どうぞ・・・」といった会話が聞こえてきて
学生達が相席に成功したらしいことがわかった。

―まったく・・・仕方がないな・・・

オレは、立ち上がるとバッグを肩にかけ、空になった器の乗ったトレーを持ち上げると、学
食の真ん中の通路を歩いていった。


「あれ〜入江君だぁ〜」
案の定、目ざとくオレを見つけた琴子が立ち上がって手を振っている。


オレは、琴子の前まで行くと、隣の学生をジロリと一瞥してから琴子に聞いた。
「お前、今日は何時までだ?」


「えっ?えっとぉーこのあと二つ講義があるから、終るのは4時かな・・・」


「そうか、オレも同じだ・・・じゃあ、テニスコートの前に4時15分な。」
オレは、口をあんぐりと開けてオレを見上げている学生の顔ををちらりと見ながら言った。
そして、きょとんとしている琴子の頬をポンポンと叩いてその場を立ち去った。


「ええーーー!!入江君、一緒に帰ってくれるのーー??」
琴子の叫び声が聞こえて来たのは、それから軽く30秒は経っていただろうか?
オレは、込み上げる笑いをこらえながら、前を見たまま後ろに向かって軽く手を振りなが
ら学食を後にした。


―オレ・・・何やってんだ?


オレは、自分の行動に呆れながらも胸がスッとしていることに満足していた。
あの学生の驚いた顔をを思い出して自然とにやけてくる顔を手で叩いて元に戻しながら
教室へ続く廊下を歩いていた。


今頃、隣に座っている学生になど見向きもせずに、じんこや理美相手に大喜びではしゃい
でいる琴子を思い浮かべながら・・・



                                         END



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