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 会いたくて会いたくて・・・「愛妻弁当とかくれんぼ」アンサーストーリー


目覚まし時計が、けたたましい音をたてて鳴っている。
私は、布団の中から手を伸ばして、なんとかその音を消す。

『おい琴子、いつまで寝てんだよ・・・遅刻するぞ・・・』

めざましの音は毎日変わらないのに、いつも耳元で聞こえるもうひとつのめざましは、今朝
も私を起こしてはくれない・・・
私は、朝から大きなため息をついて、ひとりでは広すぎるベッドに、のろのろと起き上がった。

入江君は、二日間このベッドで寝ていない・・・

―もう二日?・・・まだ二日?・・・

「ああ〜入江く〜ん・・・会いたいよ〜〜」
私は、部屋の壁一面に貼られた結婚式の写真の入江君に向かってつぶやいた。


ここ数日の入江君の忙しさは尋常ではない・・・外科の外来をこなし、長時間の手術をこなし
て寝る暇もない。
さらに、まだ研修医なのに、何年もお医者さまをしている先輩達から、難しい病気の治療に
ついて助言を求められたりして・・・確かに彼はIQ200の超天才かもしれないけど、体は普通
の生身の人間なんだから、ちゃんと休まなきゃいけないのに・・・

こんなことを考えていると、つい思い出してしまうのが、入江君が足を骨折してしまったあの
時のこと・・・足にギブスをつけられた入江君が、本当は疲労から熟睡しているのだと聞かさ
れるまでの、あの恐怖がいつも私の心に蘇る。
そして、過労、栄養不良、貧血とボロボロになっている入江君に、まったく気付かなかった自
分の不甲斐なさを思うと今でも涙が出そうになる。

「そうよ!私は一生懸命仕事をして、せめて私のことだけは、入江君に心配や負担をかけな
いようにしなきゃ!」
私は、気合を入れてベッドから降り立つと、手早く着替えて出勤の仕度をして家を出た。

たくさんの崇高な任務を背負っている入江君の、せめて邪魔はしないようにしようと決めた
のは、入江君が最初に泊まりになった夜のこと。
だから、私はまず昨日から、意味もなく入江君を追い掛け回すのをやめてみた。
そして、私は入江君の奥さんなんだから、栄養不良にならないように、食事には気を使って
あげようと思い、昨夜も泊まりになった入江君のために、夜の9時に医局までお弁当を届け
てあげた。

―そういえば、入江君ったらお弁当のことも何も言ってこないや・・・

自己満足とはいえ、入江君のために何かしているということで、私はとても幸せだった・・・
もちろん、それ以上に、入江くんに抱きしめてもらいたい、キスしてもらいたいって思っても
いたけど・・・

―でも、きっと今日は会える・・・

私は、漠然とそんなことを思いながら、病院の入り口を入っていった。

ところが、入江君が病院に泊まりこんで2日目の今日、どうせ同じ病院の中にいるんだから
遠くからでも姿が見られればいいと思っていた私は、その考えが甘かったことを思い知らさ
れることになった。

昨日、入江君を見たのは、教授回診に付いて回っている彼の姿のたった一度だけだった。
それでも、自分で追いかけないようにしていたのだから、たとえ一度しか彼の姿が見られな
くても、なんとか我慢も出来た。
でも・・・でも今日は、普通に仕事をしているだけなのに、なぜか入江君は私の視界の中に
現れなかった。

教授回診の医師たちの中にも、入江君の姿はなかった。
用事があって、外来に行った時にも、入江君はいなかった。
幹ちゃんたちと、一緒に昼食を食べている今も、ラウンジに入江君はいなかった。

「入江君、どうしてるかな・・」
私は、目の前のランチを箸で突きながらつぶやいた。

「あんた、自分で入江先生には会いに行かないって決めたんでしょ?そうやってうじうじして
ないで早く食べちゃいなさいよ・・・午後は忙しいわよ」
幹ちゃんが、私の顔を覗き込むようにして言う。

「だって・・・同じ病院の中にいるのに、こんなに顔を見られないなんて、なんだか泣きたくな
っちゃう・・・」

「たった二日帰ってきてないだけで、なに言ってるのよ!ホント、バカね・・・だいたい、そんな
に毎日ベタベタしてる方がおかしいのよ。同じ病院だからって、こんなに大きな病院で、向こう
は医者、こっちは看護師・・・勤務している部署も違えば、階もちがうんだから、そんなにいつ
も会えるってもんじゃないでしょ?・・・今までは、あんたがせっせと会いに行ってただけで、そ
れをやめてしまえばこんなもんなのよ・・・あとは、入江先生があんたに会いにでもこなけりゃ
無理よ・・・」
幹ちゃんは、あきれたように言い放つと、空の食器を持って立ち上がった。

―そうなのかな・・・私が追いかけなきゃ会えないのかな・・・入江君は、今私に会いたいって
 思ってないのかな・・・


午後になると、そんなことを考えている余裕などない程に、忙しくなった。
ふと気が緩むと、すぐに入江君のことばかり思い浮かべてしまうから、慌しく仕事をしている
ことは、今の私には好都合だった。

「誰か手のあいてる人、4時になったら503の患者さんを、手術室に連れて行って欲しいん
だけど・・・」
師長から誰にともなく声がかかる。

「はい!私が行きます」
私は、自ら手をあげて、その仕事を引き受けた・・・今はとにかく何かしていたかった。

4時にはまだ少し早かったけど、私は503の患者さんのストレッチャーを押してエレベータ
ーに乗り込んだ。

―ん?・・・

エレベーターのドアが閉まる瞬間、ふと入江君の声を聞いたような気がした。
会いたくて会いたくて、私には入江君の声の空耳さえ聞こえるらしい・・・

―我慢よ、琴子!この仕事が終ったら休憩だから、入江君にメールをしよう。それまで我慢!


ところが、手術室から戻った私に、看護師長が意外なことを言った。
「入江さん、ご苦労様でした・・・そういえば、さっきあなたが手術室へ行ってすぐに、入江先
生があなたをたずねてここへ来たのよ・・・」

「えっ?入江君が?・・・それで彼は何て?・・・」
私は、一気に高鳴る胸を抑えて、師長に聞き返した。

「別に・・・入江さんは手術室に行ってしばらく戻らないと言ったら、引き返して行っちゃったけど」
師長はそれだけいうと、私の肩をポンポンと叩いて、ナースステーションの奥へ入っていった。

「わ、わたし・・・休憩とって来ます!」
私は、師長の背中に叫ぶように言うと、一気に駆け出していた。
更衣室に飛び込むと、ロッカーからバッグを取り出して携帯電話を見る。

着信を知らせるランプが点滅していることに、ドキドキと胸が高鳴る。
メールが開くまでに、何回かボタンを押さなければならないのすらもどかしく画面に見入る。

<帰る前に、オレを探して会いに来い!!!>

メールの文字が、涙で滲んでよく見えない・・・

―入江君?会いに行っていいの?

私は、すぐにそのメールに返信を打った。

<今から行く!どこにいるの?>

すると、すぐに返って来た入江君のメールには、<医局>とひと言だけ書いてあった。
私は、携帯を握りしめると、すぐに更衣室を出て、第3外科の医局へ向かって走っていた。

医局のドアの前に立つと、私は息を整えてから、細くドアを開けて中を覗きこんだ。
しかし、部屋の中を見回しても入江君の姿はなく、別の医師が私をみつけて近づいてきた。

「やあ、入江先生の奥さんだよね?・・・入江先生なら、屋上で待ってるよ」

私は、その言葉に挨拶ももどかしく、きびすを返すと、屋上へ続く階段を一気に駆け上がっ
ていた。

―もう!どれだけ走ったら入江君に会えるのよーー!




夕方の、屋上に入江君の後姿が見えた。
白衣の白さが、薄暗い中に光を放つように浮かび上がって、まるで幻をみているような気が
してくる。

「い、入江君?・・・」
私は、声をかけたら、ふいに目の前の入江君が消えてしまいそうな気がして、小さく名前を
呼んでみた。

「遅い!・・・メールしてからいつまで待たせるんだよ!」
振り向いた入江君は、言葉とは裏腹な優しい笑顔で、私に向かって両手を広げている。

私は、涙で滲む入江君の腕の中へ一気に飛び込んだ。
入江君の胸に顔を埋めて、両手で力一杯背中を抱きしめた。
入江君は、私の頭にあごを乗せて、優しく頭を撫でてくれた。
やっと会えた・・・入江君の白衣の匂いが、私にそれを実感させてくれた。

「もう、会いたくて会いたくて・・・本当に、狂いそうなほど会いたくて・・・」
私は、しゃくりあげながら訴えた。

「そうだろうと思ってたよ・・・まったく、余計な気をつかいやがって・・・」
入江君は、とても落ち着いた声で言うと、しっかりと私を抱きしめてくれた。

「だって・・・だって・・・」

「わかってるよ・・・わかってるから、もう何も言うなよ。だいたい、そんなに会いたいなら、何で
昨夜医局へ来た時に顔を見ていかないんだよ。お陰で、オレまで調子狂っちゃったじゃないか」
入江君は、私を抱きしめたまま耳元でつぶやいた。

「うん・・・だって、入江君は医局にいなかったし、きっと忙しいだろうし、なんだか入江君が骨
折しちゃったときのこと思い出しちゃって・・・それにね、お義母さんも会わないで帰ってきた方
がいいって言ったから・・・」
私は、顔だけをあげて入江君を見つめながら言った。

そう・・・昨日の夜、お弁当を持って出かけようとした私に、お義母さんが言った言葉・・・あの言
葉がなかったら、私はきっと我慢できなくて、夜の病院を入江君を探し回っていたかもしれない。

『いい?琴子ちゃん。琴子ちゃんの決心をお兄ちゃんにわかってもらうためにも、これからお弁
当を届けて、もしお兄ちゃんに会えなかったら、ムリに探しちゃダメよ。絶対にその方がいいわ。
わかった?』
私は、お義母さんに言われたことを、入江君に教えながら、やけにニコニコとしていたお義母さ
んの顔を思い浮かべた。

「オフクロが、そう言ったのか?」
「うん」
「オレに会わずに帰って来いって?」
「うん、そう言った」

次の瞬間、入江君が大声で笑い出した。
私は、何がなんだかわからずに、唖然としながら入江君を見上げていた。

「え?・・・え?・・・どうしてそんなにおかしいの? ねえ、入江君、どうして?」
「あはは・・・まんまとオフクロにはめられたみたいだな・・・」
「お義母さんに?どういうこと?」
「わからないならいいよ・・・ただ、会いたいって思っているのはお前だけじゃないってこと、
覚えておけよ」
入江君は、私の額にキスをしてくれながら、早口でそう言った。

「ほ、ホント?・・・」
「ああ、ホントさ・・・さあ、今夜はもう帰ろう」
入江君は、そう言うと胸のポケットに手を入れて、ストラップに指をかけて院内PHSを引き出
しながら、ひと言付け加えた・・・「これが、鳴らない内にな・・・」
そして、急に私の手を握ると、屋上の入り口に向かって走り出した。

私は、入江君に手を引かれながら、また涙が溢れそうになった・・・入江君も、私に会いたい
と思ってくれていたことが何よりも嬉しくて嬉しくて・・・

そして、ふと昨夜のお義母さんの、ニコニコと楽しそうだった顔を思い浮かべた。
もしかしたら、私は誰よりも、まずお義母さんに感謝しなくてはいけないのかもしれないと思
いながら・・・


                                              END




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