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 ファーストキス

「うっ!」
オレは、腹部に息が止まるほどの重みを感じて目を覚ました。

案の定、オレの腹の上には琴子の足が乗っていた・・・それも両足。


―まったく。相変わらず、寝相の悪い奴。
オレは大きなため息と共に、琴子の両足を持ち上げると、勢いをつけて
反対側へ押しやった。
すると、琴子が何か寝言を言い始めたので、オレは片肘に頭を乗せて
上体を起こすと、琴子の寝顔を見下ろした。


「うーん、いり・・え・く・・・ん・・・だ・・いす・・・き・・・」
―ふっ、おまえって夢の中でも、オレだけか?


「ね・・え・・・キス・・・し・・・てよ・・・」
―おいおい、夢の中だと、大胆なこというんだな。
琴子の顔を見ながら、急に愛しさが込み上げる。


―では、お望みどおりに・・・
オレは、琴子の無防備な唇に、自分の唇を重ねた。


ただ唇を押し当てるだけのくちづけ・・・
そんなキスをすると、必ず蘇る記憶がある。
ひとつは、裕樹が入院した病室でのキス。


そしてもうひとつは・・・


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忘れもしない、あれは高校の卒業式の日だった。


元々、人が大勢集まる場所や、お祭り騒ぎが苦手なオレは、朝から興奮気味
のオフクロや琴子を見ているだけで、憂鬱な気分になっていた。


その日のオレには、ただ高校を卒業するという事実だけで、大きな感動も
感慨もありはしなかった。


それよりも、オレの心を占めていたのは、このまま将来への展望も夢もない
まま、ただT大を受験することへの疑問やオフクロたちの意のままにされてし
まいそうな、現実への脅威。
そして、急にオレにまとわりつき始めた、甘美で厄介な感情の正体がわから
ずいつも気持ちが落ち着かずにいた。


正直言って、夜の謝恩会も出席したくなかったが、主席で卒業するオレに、そ
んなわがままは許されなかった。
オレは気乗りしないまま、謝恩会が開かれる店に向かった。

そこであんな事が起こるとは思いもしないで・・・


オレが最初に琴子を見つけたとき、琴子は背中を向けていて、こちらには気づ
いていなかった。
琴子は、金之助とカラオケを歌っていた。


ただ、それだけだったんだ・・・


あいつは、ただ歌を歌っていただけなのに、オレは、なぜかひどくむしゃくしゃし
た気分になった。

琴子が、オレのいないところで楽しそうにしていたからか?
デュエットの相手が金之助だったからか?
ただでさえ、憂鬱な気持ちでいるところを、逆撫でされたようにオレのイライラは
募った。


そんな中で、騒動は起きた。

A組とF組の担任同士が、言い争いを始めたのをきっかけに盛り上がった騒動は、
オレが琴子をからかったために、最後には琴子が笑いものにされるとこまでエス
カレートした。


それに怒った琴子は、あろうことかオレの子供の頃の写真を出して思い出したくも
ない過去を暴露してしまった。


オレは焦った。


まさか、琴子がそんな行動に出るとは思ってもいなかったから・・・

オレは琴子の腕を掴むと、会場の外に連れ出した。
あんなに怒りに震えたのは、初めてのことだったかもしれない。


「派手にやってくれたな」
オレは怒りをあらわに、琴子に詰め寄った。


「もういい。入江君好きなのやめる、忘れてやるわ」
琴子は、あらんかぎりの虚勢を張って言い返してきた。


―忘れるだって?ああ、願ってもないことだ、清々するさ。
頭の中には、そんな思いが浮かんだ気がする・・・


しかし、実際にオレがとった行動は、思いとは逆・・・いや、それが本当の気持ち
だったのだろうと、今なら言えることだけど・・・

「やってみろよ、忘れられるならな」
―このオレを忘れられるわけがないじゃないか


「忘れられるわよ。すぐに忘れて、大学でカッコいい人をみつけるわ。
もっとカッコいい人をね」


「忘れてみろよ!」
―これでも忘れられるって言うのか!


「そうする・・・」

その瞬間、オレの唇が、琴子の唇を塞いでいた。



今でも、あのキスを思い出すと、体が熱くなるのを止められない。


あれは・・・
琴子にそれ以上オレを”忘れる”という言葉を言わさないためのキス。
オレの方が振りほどこうと躍起になっていたはずの絆を、再び手繰り寄せるた
めのキス。
そして、何より琴子の中に、オレという存在を刻印するためのキス。


もちろん、そんなことは後になって、オレが考えた言い訳でしかない・・・
あの時、あの瞬間の感情は、言葉では表すことなど出来ないものだから

ただひとつ言えることは、あの時すでに琴子は、オレの中に大きな位置を占め
て、存在していたということ・・・


なぜって、あの時オレを一番逆上させたのは「入江君を忘れる」という言葉だっ
たのだから・・・


そう、金之助と歌っていたことでもなく。
昔の写真を出して、オレの過去を暴露したことでもなく。


ただ、オレを忘れると言われた時、オレの中で何かが弾け飛んだんだ。

我に返って唇を離したときの、気まずい沈黙・・・



大きく目を見開いて、息も出来ずにいる琴子の姿が思い出される。
掛ける言葉が見つからなくて、舌を出してその場を立ち去った。



それが、琴子をまた傷つけることになるとわかっていても、あの頃のオレには
そんな風にしか、琴子と接することができなかった。



人を好きになると、どんな気持ちになるのかもわからなかった、あの頃のオレ
にはね・・・

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あれからもう何年が経つだろう?四年か?五年か?


今、オレの横には、あたり前のように琴子がいる。
あのキス・・・こいつにとってのファーストキスだったんだろうな。
(高1のときから、オレ一筋なんだから、あたりまえか)



オレはふと思い立って、眠る琴子の耳元に唇を寄せた・・・
夢の中でまで、オレを求めてやまない琴子の愛情に敬意を表して、そっと
囁いた。

「あれが、オレにとってもファーストキスだったんだけどな」


―ありがたく思えよ。

                                    END



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