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 じいちゃんと琴子

それは、琴子の妊娠がわかって数週間が過ぎた頃のこと・・・あの琴子の失踪事件からしば
らくは穏やかな日々が続いていた我が入江家を(特にオフクロと琴子を)再び震撼させるよう
な(?)出来事が起こった・・・


「ええ〜〜?お父さんが、来るですって〜〜??」
家中に、オフクロの絶叫がこだまして、あっという間に家族全員がリビングに集合した。

「今朝、病院の方に電話があったんだよ・・・ちょっと体の調子が悪いから、どうせならオレの
ところで検査を受けたいって・・・だから、すぐに手続きをとったんだ。じいちゃんは、明日の昼
に着く列車でこっちへ来るよ」
オレが淡々と報告するのを聞きながら、オフクロと琴子はすでにオロオロし始め、裕樹は歓声
をあげ、オヤジは参ったといった顔をして頭を抱えていた。


「この際だから、体の隅々まで検査するつもりだから、病院に3日間入院することになるよ」
オレは、病院から受け取ってきた入院手続きの書類をテーブルの上に置きながら言った。


「えっ?ここへ来るんじゃないの?」
オフクロが驚いたように聞く。


「検査の結果もすぐに出るし、じいちゃんはそれだけで帰るとは言ってたけど・・・」
オレは、そこが少し腑に落ちないところだと思いながら、答えた。


「あら・・・そうなの〜!もう、お兄ちゃんったら、それを早く言ってよ!・・・だって、お父さんが
ここへ来るとうるさいんですもの〜」
オフクロは、祖父が家には来ないと聞いて、急にほっと胸を撫で下ろした。


祖父の口のうるささは、オフクロにとってもかなりの脅威であることは確かなようで、オレはこ
れから琴子に伝えなければならないことを思って、少し気が重くなった。


「ただ、ひとつだけじいちゃんからの注文があるんだ・・・」
オレの、含みを込めた言い方に、家族が一様に注目する。


オレは、ひとつ咳払いをしてから「琴子?」と声をかけた。


それまで、オフクロと一緒になって、オロオロしたり胸をなでおろしたりしていた琴子が、ぎょ
っとした顔でオレを見る。


「そんな顔するなよ・・・」
オレは、そう言って苦笑いを浮かべながら、祖父が言った言葉をそのまま伝えた。
「あのバカは看護師になったんだろう?・・・それなら、病院にいる間のオレの世話はあいつ
にさせてくれ・・・だってさ」


「ええ〜〜〜!!」
祖父が来ることを伝えたときのオフクロの絶叫にも負けない声で、琴子が叫ぶ・・・


「だ、だめよ、お兄ちゃん!・・・琴子ちゃんは身重なのよ。あのお父さんにあれこれさせられ
て、もし琴子ちゃんの体や赤ちゃんに何かあったらどうするつもりなの?」
オフクロが、琴子の体を抱き寄せながら訴える。


「別に、じいちゃんは病気で入院するわけじゃないんだ。世話をするって言ったって、食事を
運んだり、せいぜい検査する場所へ連れて行ってやるくらいなんだから、問題ないだろ・・・」
オレは、二人の顔を交互に見ながら、諭すように言った。


「で、でも・・・」
それでも言いよどむオフクロと、不安気な琴子に向かって、オレはもうひと言付け加えた。


「まあ、嫁として試されるなら今でも問題ありだろうけど、看護師としてなら少しは自信を持っ
てもいいんじゃないか?・・・名誉挽回のチャンスだと、オレは思うけど・・・」


すると「そ、そうよ!」とオフクロと琴子が同時に叫んで、オレは思わず吹き出しそうになった。
横で事の成り行きを見守っていた、裕樹とオヤジは唖然としながら、二人の顔を見ていた。


「そうよ・・・私はナースだもん、おじいちゃんよりもずっと変な患者さんだって、ちゃんと面倒
みたことあるし、きっと大丈夫よ・・・ねっ!お義母さん、私がんばりますから!!」


「うんうん、そうよね、琴子ちゃんなら大丈夫よ・・・でも、何かあったらすぐに私に連絡してね」
オフクロは、そう言った後、琴子と手を握り合って頷きあっていた。



祖父は、翌日約束通りに到着し、駅まで迎えに行ったオヤジとオフクロに連れられて、病
院にやって来た。


「やあ、直樹・・・世話をかけるな・・・」
祖父は、オレの白衣姿を見て、眩しそうに目を細めながらオレの肩を叩いた。


「じいちゃん、お久しぶりです。よく来ましたね・・・その顔色なら、どこも悪いところはなさそう
ですよ。とにかく、病室へ行きましょう・・・琴子も準備して待ってるから・・・」
オレは、祖父を促して用意した病室へと向かった。


「あのバカは、本当にちゃんとできるのか?」
祖父は、なぜか楽しそうな顔をして、オレに聞いた。


「さあ、それはじいちゃんが判断してよ・・・琴子はやる気満々だけどね・・・」


「ふん、嫁としては相変わらずみたいだからな・・・これで看護師としてもだめなら、話になら
んな・・・」
祖父は、少し大げさとも思える言い方をしながら、肩をすくめて見せた。


病室にはいると、ナース姿の琴子が緊張した面持ちで、祖父を迎えた。


「おじいちゃん、お久しぶりです・・・3日間、精一杯お世話させていただきますので、よろしく
お願いします」
殊勝な顔つきで挨拶を済ました琴子は、オヤジが持っていた荷物を受け取ってさっそく世話
を始めた。


「じゃあ、オレは検査の準備があるから、いったん失礼するよ・・・あとでまたこれからのスケ
ジュールなんかを説明に来るから・・・じゃあ、琴子、じいちゃん頼むな」
オレが、笑顔で声をかけると、琴子は力強く頷いて手を振って見せた。


祖父の検査は、順調に進み、琴子は、あれこれと文句を言われながらも、甲斐甲斐しく祖
父の世話をしているようだった。


「おじいちゃんね、やっぱり私のお腹に赤ちゃんがいるからか、ちゃんと気を使ってくれてね、
重いものを持とうとすると、ベッドから出てきて手伝ってくれたりするんだよ・・・だから、やっぱ
り私がドジばっかりしてるから、嫌味を言われっぱなしなんだけど、なんか許せちゃうって言
うか・・・そういうのも、愛情なのかななんて思うんだよね・・・」


夜、家に戻って部屋でくつろいでいる時に、琴子が言った言葉はとても慈愛に満ちていてた。
お腹の子供のこともあって、一抹の不安を感じていたオレは、胸に手を当てて安堵の息を
もらした。


オレには、この3日間に祖父と琴子がどんな会話を交わし、どんな風に過ごしたのかは、よく
わからない・・・


「まったく、おじいちゃんってば、あのトヨおばあちゃんにも負けないくらいうるさいよ・・・」
琴子がオレに漏らす愚痴も、決して本気とは思えない口ぶりに聞こた。
そして、何よりも琴子があまり多くのことを語ろうとはしなかい割には、楽しそうにしているこ
とが、思っていたよりも二人の関係が良い方向を向いていることをオレに、確信させていた。


そして、祖父が滞在した2泊3日は、あっという間に過ぎ去り、本当に家には寄らずに帰ると
いう祖父を見送るために、オレと琴子とオフクロは駅へとやって来た。


「まだ時間があるから、お母さんへのお土産を買ってくるわね・・・」
オフクロは、そう言うと琴子を連れて、駅構内の売店を探しに行った。
祖父とオレは、駅の待合室に腰を下ろして、二人を待っていた。

「じいちゃん、この2日間はどうだった?・・・琴子の奴、変わらないだろう?」
オレは、祖父の荷物を空いた椅子の上に乗せながらたずねた。


「ふん、変わらんなんてもんじゃない。まったく相変わらず嫁としてはなっとらん!あれじゃ、
きっと、母親としても失格だな」
じいちゃんは、なぜかオレから目を逸らして、大げさに毒づいた。


「でもさ、じいちゃん・・・変わらないって、すごいことだと思わないか?」
オレの言葉に、じいちゃんが振り返る。


「あいつはさ、オレと結婚する前から、ずっとああなんだ・・・ずっとオレだけしか見えてなくて、
オレだけが好きでさ・・・じいちゃんとこへ連れて行ってからだって、もう3、4年は経つだろう?
オレたちにもいろいろなことがあったんだよ・・・それでも、やっぱりあいつは、あのままなんだ」
オレは、微笑みながらじいちゃんに言った。


すると、それまで無表情にオレの話を聞いていたじいちゃんが、「わかっとる・・・」と言って、小
さなため息をつきながら微笑んだ。

「やっぱりね・・・そうだと思ったよ」
オレも、じいちゃんに微笑みを返した。


「お前は、そんな風に誰かを思って微笑むような子じゃなかったからな・・・それだけでも、あ
のバカと結婚した価値があったというものかもしれないな」


「あんまり、あのバカあのバカっていうなよ」
オレは、笑いながらじいちゃんを睨んだ。


「いいか、直樹。琴子をしっかり守ってやれよ・・・琴子がこれからもずっと変わらずにお前を

思っていてくれるようにな・・・そして、あの子の目を何とかしてやってくれ・・・」
じいちゃんは、ゲートの向こうでこちらを見ている琴子へと視線を投げながら言った。
その顔は、ずっと一緒に暮らしていたオレと裕樹を、オヤジとオフクロが迎えに来た時のじい
ちゃんの寂しげな顔と重なった。


「なあ、じいちゃん?検査したいなんて言って、本当は琴子を心配して来てくれたんだろう?」
オレは、じいちゃんと一緒に琴子を見ながらつぶやいた。


「そ、そんなわけないだろう!わしは、本当に体の調子が悪くて・・・」
じいちゃんは、あわててオレの言葉を否定しながら、何かブツブツと言っていた。
でも、オレは確信していた・・・琴子の目の病気、妊娠、そしてあの失踪の話を聞いて、おそら

くこの祖父はいても立ってもいられなくなって、ここまでやってきたのだろう。

家を離れることを、ことの他嫌っていたはずなのに、体の調子が悪いだなどと見え透いた嘘ま
でついて・・・


「まあ、いいさ・・・オレが素直じゃないのは、じいちゃん譲りだからな・・・」
オレは、ニヤリと笑ってじいちゃんの顔を見た。
祖父も、同じように笑ってオレを見た。


その時、はしゃぎながら、琴子とオフクロが戻ってきた。
祖父は、二人が持っている抱え切れないほどのお土産を見て、呆れながらため息をついた。
「そんなにたくさんの土産を、どうやって持って帰れっていうんだ!」


「ま、まあ、いいじゃない!・・・とにかくお父さん、体に気をつけてね、琴子ちゃんの赤ちゃんが
生まれたら、今度はみんなで遊びに行くから」
オフクロが、祖父の肩を撫でながら言う。


「ああ、母さんと一緒に待ってるよ」
祖父は、もうすぐおばあちゃんになる最愛の娘の頭を撫でながら答えた。


「おじいちゃん、私・・・私・・・」
琴子が、涙で声を詰まらせる。


「何を泣いてるんだ。わしがいなくなって清々するだろうが!ん?」
祖父は、無理に恐い顔を作りながら琴子をからかうように言う。


「そ、そんなこと・・・私、おじいちゃんが来てくれて、本当に良かったって思ってますから・・・
私、がんばって元気な赤ちゃんを産んで、それでおじいちゃんに抱っこしてもらいに行きま
すから、待っててね」
琴子は、なんとかそこまで言うと、オフクロに抱きついて泣き出した。


「まったく!もうすぐ母親になるっていうのに、そんなに泣き虫でどうするんだ?」
祖父は、言葉とは裏腹に、たった今オフクロにしたのと同じように、琴子の頭を撫でていた。


駅のホームへ出ると、祖父の乗る列車が、低いエンジン音を響かせて停まっていた。
列車に乗り込んだ祖父が、窓を開けてオレ達に笑顔を向ける。


「じいちゃん、気をつけて・・・検査の結果はどこも異常なしだったけど、もういい年なんだか
らあんまり無理はしないで、何かあったらすぐにオレに連絡してくれよ」
オレの言葉に、祖父が大きく頷いた時、列車のドアが閉まってゆっくりと走り出した。

祖父は、もう何も言わず、ただ大きく手を振りながらあの懐かしい田舎の町へと帰って行った。




オレと琴子とオフクロは、祖父の乗り込んだ列車が黒い点になって見えなくなるまで見送っ
てから、家路についた。
オフクロが運転する車の中で、オレは琴子の肩を抱きながらそっとその耳元に囁いた。
「なあ琴子?・・・じいちゃんは、お前に会いに来たんだぜ、わかったか?」


「えっ?」
驚いた顔をして、琴子がオレを見る。


「お前が心配だったんだよ・・・だって、この3日間、じいちゃんはお前と一番長い時間を過
ごしていただろう?・・・」
オレの言葉に、ルームミラーに映ったオフクロも頷いている。


琴子がはっとした顔でオレを見る・・・
そして、その目に再び涙が浮かぶ・・・


「そうは言っても、あのじいちゃんと付き合うのは疲れただろ?・・・こうしててやるから少し
眠れよ」
オレは琴子の涙を指で拭ってやりながら、琴子の頭を抱き寄せた。


「あのね、入江君・・・おじいちゃんね、入江君が小さい頃の話をいっぱいしてくれたんだよ
もちろん、私をバカにしながらだったけどね・・・それでも、おじいちゃんの大切な思い出を

私に聞かせてくれたのが、私すごく嬉しかったんだ・・・」
琴子が、眠そうに目を擦りながら、ひとりごとのようにつぶやいた・・・
オレは琴子の肩に回した手で髪を撫でながら、「そうか、よかったな・・・」と答えた。



車窓を流れる景色が次第に夕暮れの気配を漂わせている。
オレは、今オレの肩の上で眠りに落ちた琴子に、心の中でそっと語りかけた。


―お前って、ホントに不思議な奴だよな・・・


琴子の愛情に触れたものは、誰もがその虜になる。
それは、オレだけじゃない・・・オフクロもオヤジも裕樹も・・・そして、あの祖父さえも・・・
琴子は、人に優しくすることの心地よさを教えてくれた。
愛されることの幸せと、笑顔の大切さも・・・
琴子の振りまく愛が、確実に、まわりの者を変えていった・・・


―それなのに、お前は変わらないんだな・・・


オレは、琴子の額にかかった髪を指で掻き揚げながら、そっとルームミラーの中のオフ
クロを盗み見た。
オフクロが車の運転に集中しているのを確認してから、琴子の額に顔を寄せる・・・


「誰も見てないから、どうぞ思いっきりキスしていいわよ!」
不意に、オフクロの声が聞こえて、オレは驚いて顔を上げた。


「オフクロ!・・・見てたのかよ!ちゃんと前見て運転してくれよ!」
オレは、呆れながら言った。


「だって〜お兄ちゃんったら、もう琴子ちゃんが愛おしくて仕方がないって顔してるもの・・・」
オフクロがうっとりした声で言う。


―変わらないのは、オフクロも同じか・・・


オレは、ルームミラーの中のオフクロを睨みつけながら大げさにため息をつくと、何も答え

ずに再び車窓の外に目を向けた。
そして、祖父が帰っていった田舎の綺麗な海を思い浮かべながら、そっと胸のなかでつぶ
やいた。


―じいちゃん、ありがとう。でも今度会う時は、琴子にもっと優しくしてやってくれよ・・・頼むな。


                                                END




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