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 夏休み最後の夜

「天才が何よ! あなたなんか好きなもんか!」
琴子の部屋から、怒鳴り声が聞こえてきた。


オレは、手にしていたテキストを見て大きく息を吐き出した。


―ふざけるなよ!元はといえば、お前がオレの部屋に忍び込んできたんじゃないか!


オレは、部屋の壁に向かってテキストを投げつけると、ベッドに体を投げ出した。


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部屋の中に人の気配を感じて目を覚ました時、それが琴子であることはすぐにわかった。
忍び込んできているわりには、あまりにも大胆に机の上を物色している。
おまけに、裕樹の宿題に向かって何か書き込んだりもしている。


―バカが、それでバレないとでも思ってるのか?


オレは、笑いをこらえてタイミングを測っていた。
もちろん、泥棒を捕まえるタイミングだ。


琴子が持っている懐中電灯の光が、一瞬オレの顔を照らす。
オレは慌てて目をつぶる・・・そして、光がオレのバッグを捕らえた。


―そうだ、それだよ。その中にお前が欲しいものが入っている。


琴子が、バッグに気づいて手に取っている。
オレは、暗闇の中でゆっくりと体を起こし、そっと琴子に近づいた。


―さあ、出せよ。出したら最後さ・・・


オレは、テキストを見つけて喜んでいる琴子の腕を掴むと、一気にベッドに押し倒した。
驚愕する琴子の顔が、懐中電灯の光の中に浮かぶ・・・それで、オレの勝利は確実だった。


オレの筋書き通りなら、琴子はオレの仕打ちに怒って、一度はテキストを投げ出す。
しかし、オレが脅かしたお詫びにと言ってテキストを差し出すと、不満そうながらもそ
れを受け取るはずだった。


それでオレは琴子に報復し、琴子はテキストを手に入れる。

そうなるはずだったのに・・・


琴子は、最後までテキストを受け取らなかった。
喉から手が出るほど欲しい物のはずなのに。

「どうして、そんなひどいことするの!」
最後には、大声で文句を言ってオレの部屋を飛び出して行った。


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―くそっ!オレには関係ない!勝手にすればいい。

オレは、鎮まらない怒りを押さえ込むように、布団を頭から被ると硬く目をつぶった。
あの怒声の後、耳を済ませても、琴子の部屋からは何も聞こえてこない。


―あいつ、あのまま寝ちまったのかな。


ふと閉じた瞼の裏に、琴子の顔が浮かぶ・・・
オレが浴びせかける屈辱的な言葉に、こわばった顔。
驚きに、大きく見開かれた瞳。


「入江君のこと好きだけど、私達まだ早いと思うの,、まずは健全なお付き合いから…」
琴子の言った言葉が蘇って、オレはまた吹き出しそうになった。


あれだけ突き放されても、まだオレのことが好きだなんて、ホントあいつの頭の中って何
が入ってるんだ?

それまでの怒りが、不思議な程すっと引いていく…

抵抗しながらも、肩が震えていた。
あんなに怒るなんて、オレが本気であんなことしたと思ったのだろうか?
シャンプーの香りがしたな・・・
うなじに一瞬だけ唇が触れたような気がする。
それにしても、迫真の演技だったよな・・・


―演技?


思ったよりもずっとやわらかだった琴子の腕の感触。
オレは、目を閉じていても開いていても同じ暗闇の中で、自分の手のひらを広げた。
無意識に、あの時の感触を思い出そうとしている自分に愕然とする。
オレは琴子の幻影を振り払うように、勢いよくベッドの上に起き上がった。

オレが悪いわけじゃないのに、どうしてオレが罪の意識を感じなきゃならないんだ?

―このままじゃ眠れないじゃないか!


このままだったら、明日の朝の琴子の顔は、今朝よりもっとひどいものになっているだろう。

―パンダどころの話じゃないな・・・


オレはベッドから降りると、部屋の隅に落ちているテキストを拾い上げて、ため息をついた。

―さて、どうする?


あそこまで啖呵切ったんだ、素直に受け取るとは思えないが。

琴子と関わると、なぜか物事が筋書き通りに行かないんだ。
オレの想像と予想を遥かに超えて、あいつは真っ直ぐに向かってくる。
オレはそんな琴子にいつも翻弄されて、イライラさせられて、それで結局は、みんな琴子
の思い通りになって行くんだ。


―ふん、納得かねえ。


オレは、心の中で悪態をつきながら、その反面心地よい興奮も感じていた。

―よし、作戦を練るか・・・まずはコーヒーだな。

オレは、テキストを手に部屋を出た。


それが、夏休み最後の夜の出来事。
琴子と二人きりの夜。


―まったく!今夜は、長い夜になりそうだ・・・



                                          END


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