≪Menu
 人生最悪にして最良の日

オレは、目の前にぶら下がっているウェディングドレスの前で、オフクロと琴子の策略に
まんまと引っかかったことを身に沁みて感じていた。


そもそも、結婚式を碧潭(ぴーたん)ですると聞いた時点で、おかしいと思わなくてはいけ
なかったんだ・・・

衣装合わせの時に、オフクロの撮るビデオの前で見せた琴子の不敵な笑みが蘇る。


―あいつ、あの時からきっと・・・


この日・・・オレの人生最悪にして最良の日は、こうして幕を開けた。

------------------------------------------------------------------------

確かに今入ってきたドアの外には<新郎控え室>と書かれていた。
それなのにどうして目の前にウェディングドレスがあるんだ?
おまけに、どう見てもそれは琴子が着るようなサイズではない・・・
つまり、これを着るのはオレなんだ。


―琴子の奴、なに考えてんだ!


いったいどれくらいそこに立ち尽くしていたんだろう?
不意に背後から声がかかった。
「おお、入江やっと来たのか。遅いじゃないか・・・主役が遅刻じゃ話しにならないぞ。早く
着替えろよ」
それは須藤先輩の声・・・そして振り向いたオレは、驚愕の声をあげた。
「す、須藤先輩!それに、中川じゃないか!・・・ど、どうして・・・」
もちろん、須藤先輩や中川が普通にその場にいたのなら、これ程までに驚いたりはしない。


そうさ・・・この二人までウェデングドレスを着てさえいなければ・・・


「どうして先輩たちまでそんな格好を?・・・」
オレは、何がなんだかわからず、思ったままを口にした。


「俺たちは、松本姉妹に言われてな・・・俺たちあの二人には逆らえないんだ」
須藤先輩と中川は、顔を見合わせて照れたように笑った。


「先輩、今琴子がどこにいるか知ってますか?」
オレは、固く握った拳を震わせながら、努めて冷静な口調で尋ねた。


「あ、相原は反対側のボート乗り場から出発するからって、もうそっちへ行ってるよ・・・
お、お前もしかしたら、このこと知らなかったのか?」
オレのただならぬ様子に、須藤先輩も口ごもりながら答える。


「冗談じゃない!」
オレはひと声叫ぶと、おもむろに携帯電話を取り出して琴子の番号を押した。


二度ほどコールする音が聞こえて琴子が出る。
「入江君?・・・」
返って来た琴子の声は、弾んだように楽しげだ。その声がオレの怒りに拍車をかけた。
「お、お前、どういうつもりだよ!こんなの着るなんて、聞いてないぞ!」
すると、受話器の向こうから小さなため息が聞こえた。

「やっぱり怒ってる・・・だから、昨夜ちゃんと言おうとしたじゃない!それなのに、入江君
ったらわかったわかったって何も聞かないで寝ちゃったでしょ?今朝だって、もう一度言
おうとしたのに、これみよがしに新聞なんて読んじゃって、今さら怒るのなんてずるいよ!」
オレは、受話器を耳に当てながら、いつにない琴子の勢いに圧倒されていた。


思い起こせば、確かに昨夜琴子は部屋に引き上げようとしたオレを捕まえて、真剣な顔
で何かを言おうとしていた。
それを、ほとんど無視したのはオレだ。
今朝も、オフクロには「放っておけばいいのよ」と言われながらも、何かを言いかけた琴子
に「碧潭だろう?ちゃんと行くから心配するなよ」と取り付く島も与えなかったのはオレだ・・・
それを今さら怒鳴られても、琴子が怒るのはもっともだろうと思えた。


携帯を持ちながら、何も言えなくなっているオレを須藤先輩と中川がニヤニヤとした顔で
見ている。
「わかったよ。着ればいいんだろ!着れば!!」
オレは、叩き付けんばかりの勢いで電話を切ると、目の前のウェディングドレスを引き剥
がすように取ってフィッティングルームに入った。


「だいたい、なんでこんなに大きなウェディングドレスがあるんだ!・・・いったいどれほど
大きな女が着るんだよ!」
オレは、八つ当たりのようにフィッティングルームの中から、外にいる先輩達に向かって
叫んだ。


結婚が決まってからわずか二週間・・・おそらく琴子がオレにウェディングドレスを着せよ
うなどと考えたのは一週間前の衣装合わせの時だと思えるから、こんな短い時間に男が
着れるほどのドレスを作れるとはとても思えなかった。
元々あったものなら、このドレスを作った奴までもが怨めしく思えた。


「ああ、このドレスは元々男のモデルが着るために作られたものらしいですよ・・・」
中川の声が壁一枚の向こうから答える。


「えっ?・・・男のモデルに?」
オレは驚いて、聞き返した・・・随分と物好きな奴がいたものだと思いながら、着慣れない
衣装に四苦八苦していた。


「はい、桂竜市ってデザイナーが、男のモデルにウェディングドレス、女のモデルにタキシ
ードを着せて、パリのファッションショーで絶賛されたって、どこかの雑誌に書いてあった
な・・・そのドレスを入江先輩の母上が、借りてきたってわけですよ。あのモデルもかなり
デカイ奴だったから、まず入江先輩が着ても問題ないですよ・・・」
中川の話に、オレは納得せざるを得なかった・・・ドレスは、まるであつらえたようにピッタ
リだったのだから・・・


「それにしても、お前のお袋さんってすごいパワーだよな・・・」
須藤先輩も感心したように言う。


―オフクロの奴、余計なことを・・・


オレは鏡に映った自分の情けない姿を見ながら、大きなため息を付いた。

―あのオフクロと琴子が手を組んでいるんだ・・・オレがどんなに騒いだって、結局あいつ
らの思うとおりになるってことか・・・


オレがこれまでの経験から、あきらめの境地に立って、もうどうとでもなれという気持ちに
なった時、ドアをノックする音が聞こえた。


「新郎様のお仕度はいかがでしょうか?・・・そろそろお式が始まります」
オレは仕方なく髪の毛にベールをつけると、笑いをこらえている先輩や中川をひと睨みし
て控え室を後にした。


碧潭は、オレと琴子が始めてデートのようなことをしたところだった。
あの時、ボートから落ちてずぶ濡れになったことが、昨日のことのように思い出される。
だから、ここを結婚式の会場に選んだことは、100歩譲って許してやろう・・・


でも・・・だからと言って・・・

「なんで、こんな格好でボートを漕がなきゃならないんだ!!」
オレは、再び叫んだ。


「まあまあ、お前もいい加減あきらめろよ・・・」
須藤先輩が、笑いながらオレをなだめる。

わかってるさ。
オレは確かに琴子と約束をした・・・「好きにしろ」と・・・
だからって、どうしてオレがウェデングドレスなんだよ。
今日は、オレ達の結婚式じゃないのか?
そんな日にオレはどうしてこんなに怒りまくってなきゃならないんだ?

空は、今にも雨の降り出しそうな曇り空・・・
オレは、どうにも納得できず、ふてくされた顔でボートを漕いだ。
向こう岸で、オレ達を祝福するために集まった人たちの姿がどんどんと近づいてくる。


ボートが岸に着くのを待っていたかのように雨が降り始めた。
オレの前に白い燕尾服に身を包んで、琴子が立っていた。
雨に濡れたその姿と至福の微笑みがオレの怒りを鎮めていく・・・
おじさんに肩を抱かれて前に進み出た琴子に、オレも笑顔を返していた。
何を着ているかなんて、本当は関係ないんだ。
そんなことでオレの愛情を計れるわけもないことくらいわかってるはずさ・・・


―なあ、そうだろ琴子?


琴子は、本当に知っているのだろうか?
オレが、一番オレらしくいられるのは、琴子の前なのだということを・・・
オレに、本当にやりたいことを教えてくれたのも、琴子なのだと言うことを・・・

だから誓うよ・・・生涯変わらずお前を愛していくことを・・・


―お前は、オレに人を愛することの切なさや喜びを教えてくれたもんな。


そうじゃなきゃ・・・


こんな恥ずかしい格好、死んでもするもんか!



                                           END



Menu