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 明け方のバルコニー

シャワールームから出ると、バルコニーに立つ琴子の後姿が見えた。
オレは、ベッドに腰掛けると、濡れた髪を拭きながらしばしその背中を見つめていた・・・
琴子を探し回って、ホテルに戻ったのは、空も白み始める明け方だった。

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琴子が何を望んでいるかは、もちろんわかっていた。


―オレ達、結婚したんだ・・・あたりまえだよな。


オレだって、本当は同じ気持ちさ・・・

ただ、オレの描くビジョンなどおかまいなしに、結婚式を挙げて、今ここにいることがどう
しても納得できなくて、少し意地になっていたのかもしれない・・・

「後悔してるの?・・・」
琴子の思いもよらない言葉に、初めてあいつの胸の中の不安を感じとった。
オレはこんなに近くにいるのに、どうしてそんな風に思うのか不思議だったよ。
これからずっとずっと一緒にいるのに、オレにはお前だけなのに・・・


でも、違っていたんだな・・・
オレにもわかったよ・・・確かめ合うことがとても必要だということが・・・
お前の肌にふれたとたんに、どこか割り切れずにかたくなになっていた思いも、一瞬で、
泡のように消えてしまっていたのだから・・・


―あの時、邪魔が入らなければな・・・


琴子のヤキモチに、きついことを言ったのは、もちろんいずれ医者になる男の妻になっ
たことをわからせたい気持ちがあったのは確かだった。
でもそれよりも、愛しているからこそ相手に毅然とした態度をとるべきときがあることを、
マリや巧に気付かせてやりたい気持ちもあったんだ。

―あの二人が、オレをダシにしてお互いを探り合っていたことはわかっていたから・・・

それが琴子の不安を増幅させることになるかもしれないと思っても、あの時あの場では
そうすることが一番だとオレには思えたんだ。

―まさか、お前が迷子になってしまうとは思ってもいなかったけどな・・・


ただ、今夜、琴子を探して街を走り回って気付いたことがある。
それはたとえ離れていても、オレの心には絶えず琴子の声が聞こえているということ・・・
オレを愛してやまない琴子の、オレを求める声がずっとオレの心に響いていた。
それは、オレが琴子を愛していることの裏返し・・・
冷たくしても、突き放しても、いつでもそばにいたのに、琴子を見失ったとわかったとたん
に、オレの心はざわめきは止まらなくなった。


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海から吹く風が、バルコニーに立つ琴子の長い髪を揺らす。
明け方のバルコニーからは、朝日に光りはじめた水平線をはるかに望むことができる。

オレは、琴子の凛とした背中を、そっと抱きしめた。
まだ眠っている街が、けだるい空気の中に沈んだまま、どこか物憂げにオレ達を見上げ
ているようだ・・・



琴子の肩にあごを乗せると、身を硬くした琴子の胸の鼓動が伝わってくる。
きっと、琴子もオレの鼓動を背中に感じている。

今は、このたゆたうような優しい時に身を任せよう。
お前を抱きしめているのはオレだということ・・・オレの腕の中にいるのはお前だということ・・・

―わかるだろ?

それが全てで唯一の真実だと確かめ合うために。
オレの、心からの「愛してる」を伝えるために。


オレは琴子を抱きしめる腕に、力を入れた。
今、ひとつになれる幸せをかみしめながら・・・


                                          END



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