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 琴子だけを・・・

  
この翌朝から・・・   ⇒⇒⇒⇒   この直前までのお話です・・・

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遠くで目覚まし時計の音が聞こえる・・・

―なんだ?うるさいな・・・琴子、早く止めろよ。

いつまでも鳴り止まない音に、ふと琴子はいないんだと思い出す・・・

オレは、けだるい体を動かして、ベッド脇のキャビネットへ手を伸ばすとなんとか目覚ま
し時計を探し当ててスイッチを押した。
目を開けると、カーテンの隙間から差し込む朝日がまともに顔に当たって眩しさにあわ
てて目を閉じた。

その瞬間オレは、「痛っ!」と思わず声に出して、瞼を押さえた。
目を閉じたまま、自然とベッドの半分へと手が伸びる・・・しかし、思った通りその手はあ
っけなくベッドの端へと到達した。

―琴子が帰っているはずないか・・・

たとえ帰っていても、このベッドにもぐりこんでくることはないだろうと思い直しながら、瞼
に走るチクチクした痛みが、嫌でも昨夜の出来事を思い出させた。

「それでも男か!」

お義父さんの叫ぶ声が、頭の中にこだまする。
あの時すでに、正体をなくしていたオレの心は、無抵抗なままお義父さんに殴られるにま
かせていた。

オレは、今度はゆっくりと目を開けて、痛みに顔をしかめながら、そろそろとベッドから這
い出した。

冷たい水を叩きつけるようにあてながら顔を洗うと、寝不足で朦朧とした頭が少しはスッ
キリしたように感じる。
洗面所の鏡に映った自分の顔に思わず苦笑いが込み上げた・・・
みごとに腫れあがった左の瞼が、オレのしたことの愚かさと重さを象徴しているようだ。
オレは、顔から落ちる雫がパジャマを濡らすのもおかまいなしに、自分の顔を睨みつけて
いた。

”やきもち”って何だ?
この胸にもやもやと広がるものなのか?

琴子は、どうしてあんなに泣いたんだ?
オレは、どうして琴子を追いかけなかったんだ?

鴨狩は、なぜ琴子に惹かれたんだ?
オレは、どうしてあんなにひどいことを琴子に言ったんだ?

オレは何者なんだ?
オレはどうすればよかったんだ?

考えれば考えるほど混乱してくる頭を、一度強く振ってからオレは着替えをして階下へと
おりた。

朝日の差し込む明るいダイニングには、オレのための朝食がテーブルの端に用意されて
いるだけで人の気配がなかった。
オフクロは、自分の部屋へ引き上げているのか、それとも早々に出かけてしまったのか、
もしかしたら昨夜の騒ぎを知っていて、オレと顔を合わさないようにしているのかもしれな
いと思った。
オヤジや裕樹は、きっとそれぞれもう出かけたのだろう・・・
お義父さんは、まだ寝ている時間だ。

―琴子は?

琴子はどうしているだろう?
どこにいるのだろう?
ちゃんと眠れたのだろうか?
今日は、学校に来るだろうか?

オレは、一人ダイニングテーブルの椅子に腰掛けると、デキャンタに入ったまま冷めてし
まったコーヒーをカップに注いだ。

―琴子のいれたコーヒーが飲みたい・・・

唐突に、そう思った。

昨日までのオレでは、思いもしなかったことだ。
自分の胸の中に広がっていくわけのわからない感情に振り回されて、琴子をあれ程追い
つめていることにすら気付いていなかったのだから・・・
でも、今朝は気付くとずっと琴子のことばかりを考えている。

ふと、瞼の傷に手をあてた。

―この痛みのお陰かな・・・

「どうして私と結婚したの?」

号泣する琴子が最後に言った言葉・・・

オレはどうして琴子と結婚したんだろう?
琴子はオレにとっての何なんだろう?

琴子だけがオレをイライラさせる。
琴子だけがオレを怒らせる。
琴子だけがオレを不安にさせる。
琴子だけがオレに安らぎをくれる。。
琴子だけがオレを笑わせる。
琴子だけがオレを幸せな気持ちにさせる。

琴子の前でだけ、オレは人間らしくいられるのだとつくづく感じる。
琴子の前でだけ、オレは本当の自分になれる。

オレは琴子だけを愛している。


「くそっ!」
何を今さらと思う気持を、声にして吐き出した。
オレは、勢いよく立ち上がると、バッグを鷲づかみにして家を飛び出していた。
わかっていたことなんだ。
どんなに理性的に考えようとしても、何度も同じことに気付くんだ。

学校に着くと、オレは授業が始まるまでの間、懸命に琴子の姿を探した。
実際に顔を合わせたら、何をどう言ったらいいのかさえ決めかねていたのに、ただ琴子
の姿を見て安心したかった。
それでも、そういう時に限って、まるで誰かが琴子を隠してしまったかのようにその姿を
見つけることはできなかった。

オレは、このまま探し続けたい気持ちを抑えて、講義室へと向かった。
そして、午前中の授業を終えて、立ち上がったときに金之助がオレを呼んでいる声が聞
こえてきた。

「入江〜!どこやー!どこにおるんやーあいつが琴子を口説いとるぞーええのかー?
琴子をあんな奴に奪われてもええんかー?入江出てこんかーー!!やきもちもたいが
いにせい!琴子を泣かせへん言うたのは、うそやったんかーーー??入江ーー!!」

オレは、聞こえてきた言葉に、体がカッと熱くなり、講義室を飛び出した。
オレを見つけた金之助が駆け寄ってくる。
そして、オレの顔を睨みつけて「学食や」と言うと、オレの背中を力いっぱい押した。

どんなに冷静でいようと思っても、無理なんだ。
琴子だけがオレを慌てさせることも出きるんだから・・・

本当は、琴子が他の男を見てるのさえ嫌なんだ。
他の男と話をするのも、他の男が琴子の思い出の中にいるのさえ・・・
こんな思いが嫉妬の正体なんだ。

そして、それは「愛してる」の裏返しなんだ。

「いっぱつヤキいれたれー!琴子に惚れとるなら奪い返せー!」
金之助の過激な言葉が、後ろから追いかけてきた。


オレは学食に向かって必死で走った。
琴子を取り戻すために、自分を取り戻すために・・・
そして、どうしてこんなにも琴子が必要なのかを伝えるために・・・


                                             END


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