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 風に乗せた言葉・・・

卒業式の翌日から、琴子は猛然とオレが馬祖へ行くための荷造りを始めた。

肝心なことは何も口にせず、ただ二人で過ごせる短い時間を惜しむかのように、琴子は
笑顔でオレにまとわりついていた。
オレが馬祖へ出発するまでの数日間・・・琴子は、何度も荷物をチェックしながら、オレの
ためだけに時間を費やしていた。

「おい、そんなにたくさんの洋服はいらないぞ!」
「だって、忙しくて洗濯する暇もなかったら困るでしょ?」
「もし、そうなったらずっと同じのを着てるからいいよ・・・だいたい、医者なんていつだって
白衣なんだから下に何着てようが関係ないだろ!」
「だって、それじゃ・・・」

琴子は、不満気な顔で何枚かのシャツを荷物の中から引っ張り出す。
他愛のない会話にさえ、何か意味があるような気がして、心に刻みたくなる。

「これは一番入江君に似合うシャツだからダメ、あっこれは私がプレゼントしたのだから絶
対に入れとくでしょ・・・じゃあ、これとこれとこれか・・・ああ〜全部出ちゃった・・・あ〜ぁ、ま
た入れなおしだぁ〜」
ブツブツと文句を言いながら、また最初から荷物を詰めなおしている琴子に苦笑する。
オレは、すこし翳りのあるその横顔を飽きることなく見つめていた。


あの日・・・

ずっと子供部屋に篭りきりの琴子を心配して、店を早く閉めて帰って来たお義父さんをテ
ラスに誘ったあの夜。

オレは、いつからか、テラスへ出るドアの陰で、琴子がオレ達の話を聞いているような気が
していた。
そう・・・テラスの飾りを揺らす風が、ふいに風向きを変えた時、琴子はきっと子供部屋を出
てドアの陰に立ったのだろう。
今、顔をしかめながら荷物を詰めなおしている琴子は、決してあの時のことを口にはしない。

でも、オレにはわかる・・・

あの時テラスから、琴子が開け放した子供部屋のドアを通って家の中を吹き抜けて行っ
た風は、きっとオレの言葉を琴子へと運んだのだろう。
今までオレが、琴子を前にすると、どうしても言えなかったたくさんの言葉は、あの時風に
乗って琴子の心の中に届いたに違いない。


そして、琴子は強くなろうとしている・・・

卒業式のあと、オレを見てなんとか微笑みを作った琴子の、瞬きもせずに頬に零れた涙が
オレにそんな思いを抱かせた。

「卒業おめでとう・・・早く帰って荷造り始めなきゃね・・・入江君が馬祖へ行く日に間に合わ
なくなっちゃう・・・」
溢れる涙を拭いもせずに琴子が言った言葉・・・それが琴子の出した答え。
だからオレは、その涙が止まるまで、人目も気にせず、ずっと琴子を抱きしめていた。
勇気をもって、オレと離れる覚悟を決めた琴子を、それまで以上に愛おしいと感じながら・・・

「ねえ、入江君?・・・入江君の携帯どこ?」
「え?・・・ああ、机の上だけど、何するんだよ?」
「あっ、あった、あった・・・いいから、いいから!うふふふ」
やっとのことで荷物を詰め終えた琴子は、オレの携帯を持って含み笑いをしながら部屋を出
て行くと、すぐに戻ってきて満面の笑みを浮かべながらオレに携帯を差し出した。

「入江君!見てみて」
「な、なんだよこれ!」
「見ての通り、私の写真の待ち受け画面よ・・・」
琴子は、満足気な顔でソファに座っているオレを見下ろす。

「こんなの、恥ずかしくて・・・」 「ダメダメ!」
オレの言葉を、琴子の声が遮った。

「だって、入江君は写真なんて持たせたって、きっと荷物から出すこともしないでしょ?でも
待ち受けにしておけば、携帯を使うたびに私のこと見つめてくれる・・・だから、絶対に解除し
たりしないでね」

琴子の言うことは、あまりに的を射ていて、オレには返す言葉もみつからなかった。
確かに、オレは写真など持たされても見ることもしないだろう・・・両手を合わせて懇願する
琴子に、思わず笑いが込み上げる。

オレは、小さくため息をつくと「わかったよ」と答えながら、琴子を引き寄せた。
琴子のそんな小さな我がまますら、あと数日でオレには聞いてやれなくなるから・・・

「約束よ?」
そう言って、オレの顔を覗き込んだ琴子にもう一度頷くと、琴子は嬉しそうにオレの首に腕
を絡めてきた。
自然と唇が重なる・・・背中に回す腕に力が入る・・・そして、琴子の涙がオレの頬を濡らす。
琴子の言葉にならない思いが、オレのココロに沁み込む・・・

『入江君が大好き・・・』
琴子の流す幾筋もの涙が伝えてくるのは、ただこのひと言。

―わかってる・・・わかってるよ、琴子・・・だからもう泣くな・・・


こうしてオレ達は、小さな別れの儀式を繰り返しながら、その日を迎えるんだろう。
オレと離れる決心をした琴子を、もう厳しく突き放す必要はない。
慌しさの中でも、お互いを思いやって、気持ちを伝え合って、濃密な時が過ぎていく・・・

そして、今よりも遥かに成長したお互いになって、再び会うために・・・この試練はある。

正直言って、オレだって琴子と1年も離れて、平気でいられるのかなんてわからない・・・
ずっと一緒にいたんだ・・・オレにとってもこんなに長い別れは初めてなのだから。

―その辺、わかってのなかな・・・あいつ。

どうか、オレがいなくても、琴子がいつも笑顔でいられるように・・・
今旅立ちを前にして願うことはただそれだけ・・・


そして、携帯電話を見るたびに、きっと何度もつぶやくのだろう・・・

―誰よりも愛している、いつも想ってる・・・だから笑っていろ、いいな?琴子。



                                          END


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