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 愛された軌跡 −1−

オレの心に深く刻まれた、あの日の記憶・・・それは、オレがお前を探して、辿った軌跡・・・
そして、それこそが、お前がオレを愛した軌跡・・・オレがお前に愛された軌跡・・・
今、もう一度二人で行こう・・・あの日、すれ違ったままの思い出を、再びひとつにする為に。

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頭の上で、目覚まし時計のアラームが鳴りだし、オレは、手探りでそれを止めると、いつも
のように隣で寝ている琴子へと手を伸ばした。
しかし、目を閉じたまま滑らせた手は、どこまで行っても琴子の体に触れない・・・

―ん?・・・

朝日の眩しさに薄っすらと目を開けると、琴子は寝ておらず、オレは半身を起こして部屋を
見回した。
ふと、あの琴子が失踪した朝の記憶が蘇り、オレは無意識にサイドテーブルの上を見た。
すると、まるであの日を再現するかのように、フォトフレームの下に挟まれた紙片が目に飛
び込んできて、オレは、血の気の引く思いでそれを引き抜いた。



『愛しのダーリンおはよう〜、今朝はとっても気持ちよく目が覚めたので、先に起きて美味し
いコーヒーを入れて待ってるからね〜あなたのハニーより』

―なんだ、これ?

オレは、あきれながらその紙片をベッドの上に投げ出すと、もう一度ベッドに寝転んだ。
もう二度とそんなことがあるわけはないとわかっていても、心臓の動悸はおさまらず、今で
もあの日の記憶が、これほどにオレを動揺させるということに、驚いていた。

「まったく、何でこんな紛らわしいことを・・・」
オレは、誰もいない部屋で、声に出して悪態をついた。
そして、天井に向かって大きなため息をついた時、ふいに部屋のドアの開く音がして、琴子
が飛び込んできた。

「あっ・・・入江君、お、おはよう・・・もしかして目覚まし時計で起こされちゃった?・・・」
琴子がバツの悪そうな顔をして聞いたことに、オレは不機嫌な顔のまま「ああ」と答えた。

「ご、ごめんね。目覚まし時計切っておくの忘れたの思い出して、あわてて来たんだけど、
遅かったんだね・・・せっかく、今日は入江君お休みだから、ゆっくり寝かせてあげようと思
ったのに・・・」
琴子が、うつむきながら言っているの見ながら、オレはなんだかほっとしてベッドの上に体
を起こした。

「来いよ・・・」
オレは、ベッドサイドに立っている琴子の腕を掴んで、引き寄せると、ベッドの端にストンと
座った琴子を、背中から抱きしめる・・・

「お前、今すごーく罪なことしたのわかってるのか・・・」
オレは、琴子の耳元で囁いた。

「えっ?・・・罪なことって?・・・」
琴子が、驚いて振り返る。
そんな琴子の反応がおかしくて、オレはふっと吹き出して笑った。

「ねえ、なになに?・・・目覚まし時計を止めておかなかったこと?」
琴子の言葉に、オレは笑いながら首を横に振った・・・そしてその時、オレの頭にはあるこ
とがひらめいていた。

「じゃあ、なに?・・・ねえ、ちゃんと謝るから教えて〜」

「なあ、琴子・・・今日は、天気もいいし、二人で碧潭へ行かないか・・・?」
オレは、琴子の言葉を無視して、つぶやいた・・・

すると、それまで眉間に皺を寄せながら食い下がっていた琴子の顔が、急に驚きと戸惑
いの表情に変わり、いぶかしげにオレを見つめている。
「な、なんだよ・・・」
オレは、横目でちらりと琴子の顔を見ると、すぐに目をそらして琴子の返事を待った。

「ね、ねえ?・・・そ、それって、デートってこと?」
琴子が、しどろもどろになりながら尋ねる。

オレは曖昧な笑みを浮かべながら「まあ、そういうことになるかな・・・」と答えた。
すると、琴子の表情がみるみる満面の笑顔に変わり、黄色い悲鳴をあげた。
「きゃあーホント?・・・入江君から、デートに誘ってくれるなんて初めて!嬉しい〜!」
琴子は、半ば叫ぶようにそう言うと、オレの首に抱きついて、延々とキスの雨を降らせる。

「わ、わかったから、離れてくれよ・・・喜んでくれるのはいいけど、こんなことしてたらいつ
までたっても出かけられないだろう!」
オレが苦笑しながら言うと、琴子は「ごめん」と言いながらやっと立ち上がった。

「じゃあ、まずは朝ごはん食べなきゃ・・・早く着替えてきてね・・・」
琴子は、はにかんだ笑みを浮かべながらもう一度オレの頬にキスをすると、ドアに向かっ
て歩き出した。
その時、ベッドから立ち上がろうとしたオレの手に、琴子が書いたメッセージの紙片が触れ
オレはふと琴子を呼び止めた。

「なあ、琴子?・・・お前、今日はどうしてそんなに早起きだったんだ?」

振り向きながら琴子が答える。
「お腹をね、思いっきり蹴っ飛ばされてビックリして目が覚めたの・・・」

「えっ?・・・お腹って、まさかオレが?・・・」
オレは、驚いて聞き返した。

すると、琴子は声をあげて笑いながら首を横に振った。
「ちがうよ〜もう、わかるでしょ?この子が、私のお腹を中から蹴っ飛ばしたの・・・すごく
元気なんだよ!」
お腹を指差しながらそう言った琴子の笑顔が、幸せに輝いている。
オレは、その笑顔に引き寄せられるように、琴子の前に立つと膨らんだお腹をそっと撫でた。

―この中に、オレと琴子の子供がいる・・・

どんなに頭でわかっていても、男のオレには絶対に実感できないその痛みや重みを抱え
て、琴子は少しずつ母親になる準備をしてる・・・
この頃では、小児外来にやってくる母親たちと同じ表情をする琴子に、はっとさせられるこ
とが何度もあった。

「じゃあ、下で待ってるね・・・気が変わると困るから、早くしてね・・」
琴子は、弾むように部屋を出て行き、階段を降りながら嬉しそうにオフクロを呼ぶ声が聞こ
えてきた。


オレは、水で顔を洗うと、洗面台の鏡に映った自分に問いかけた。
「何で急に、碧潭へ行こうなんて言ったんだ?」

ふいにあの日の記憶を呼び覚まされて、心に残された傷の深さに驚かされた。
オレは、あの日の記憶を風化させたくないのか、それとも違う思い出と塗り替えたいのか・・・
ただ、あの日琴子を探して・・・本当に狂うほど探して、心に焼きついたままのあの景色を、
今度は琴子と二人で見たいとふと思った。



「これじゃ、トラウマだな・・・」
オレは、苦笑しながら手早く仕度を済ませ、久しぶりの二人での外出に、嬉々と心弾ませ
ている琴子の待つ階下へと降りていった。


                                              つづく


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