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 愛される至福

それは、オレと琴子の入籍騒動の噂もそろそろ人の口にのぼらなくなった頃のこと・・・

日も傾きかけた放課後、テニスコートの前を通りかかった時に、ふいに松本裕子が声
をかけてきた。
「入江君、久しぶり・・・最近はあんまりテニス部に顔出してくれないのね・・・」

「ああ、ちょっと研究発表の準備が忙しくてね・・・終ったらまた顔出すよ」
オレは、すぐにその場を去ろうとしたが、それを阻むように松本の声がオレを引きとめた。
「ところで最近、相原さんの様子はどう?・・・落ち込んだりしていない?」

「えっ?・・・琴子が?」
オレは、松本の含みを込めた言い方が気になって振り向いた。

「ええ、今年の1年生はね、入江君目当てで入部した子が多いのよ・・・それなのに、入江
君ったらちっとも出てこないでしょ?それでなのか、入江君と結婚してるっていうのにヤキ
モチやいてか、相原さん、かなりやり込められてるみたいなの・・・
まあ、相原さん本人はわかってるんだか、わかってないんだか、1年生にすらバカにされ
てても自分がへたくそなせいだって思ってるみたいにも見えるんだけどね・・・でも、家では
落ち込んだりしてないかなって、ちょっと心配になったものだから・・・」
松本は腕を組みながら、オレの目を探るように見ながら言った。

「へえ、知らなかったな・・・家では別に普通だけど。ありがとう、ちょっと気にしててみるよ。
それより、松本が琴子のことを心配してくれてるってことの方が以外だけど?・・・」

「あら、失礼ね・・・私だって、あなたと相原さんが結婚して悔しい思いをした一人だけど、今
はちゃんと認めてるのよ・・・見た目には、相原さんばかりがあなたを追いかけているみたい
に見えるけど、本当はあなたの相原さんに対する愛情も相当なものよね・・・その辺、もっと
周りに見せてやればいいのよ。」
松本は、オレに向かって軽く片手をあげると、含みのある笑みを残してテニスコートへと戻っ
て行った。


オレは、なんとも妙な気分で家路についた。


―琴子がオレとのことが原因でいじめられてる?


あいつのことだ、もし何かあれば顔にも態度にも表れる。おそらく、そうとは気づかないでい
るのだろう・・・
それよりも、結婚はオレと琴子だけの問題なのに、それをとやかく言う奴らがいるって言うこ
とのほうが驚きだ。
オレと結婚したことで琴子が傷ついているかもしれないということは、ある意味衝撃的なこと
だった。


家に帰ると、琴子はオフクロと楽しげに夕食の仕度をしていた。


―別に変わったところはないか・・・


夕食も終わり、二人で部屋に引き上げたのを機に、オレは琴子にたずねてみた。
「琴子?・・・お前、今日テニス部に出てなかったみたいだけど、何かあったのか?」

「えっ?・・・別に何もないよ。だってもう4回生だし、今年の1回生上手いから私なんて出る
幕ないじゃない?それに、入江君がいないなら出ても意味ないし、それなら家に帰ってお義
母さんの手伝いした方が楽しいもん♪」
琴子は別段、何かを隠している風もなく言った。

「ふーん、そういうもんか?・・・」
オレは、少しほっとしながら答えた。

「あっ、でも入江君が部活に出るときは、ちゃんと教えてね。入江君目当ての1回生がいっ
ぱいいるでしょ?ちゃんと見張ってないと、何されるか気が気じゃないじゃない?とりまきな
んて奥さんパワーでけちらしてやるんだから!」
琴子は、勇ましく拳を振り上げながら言った。

「なんだよ、見張るって・・・オレを信用してないのかよ」
オレは、ちょっとからかい気味に言った。

「入江君のことは信じてるよ・・・でも、理屈なんて関係なく嫌なものは嫌なの!それにね、
生意気にも私をいじめようとする子なんかもいるのよ!テニスの腕前じゃ勝てなくても、私は
入江君の奥さんなんだから何したって無駄なのにね・・・私の入江君への愛情は誰にも負け
ないもん!えへへ」
琴子は、胸を張ってオレに笑って見せた。


―理屈抜きで、嫌なものは嫌か・・・

ふと、つい先日、船津が琴子の手を思わず握った時のことが思い浮かんだ。


―確かに、理屈抜きで嫌なものは嫌だ。

オレは、吹き出しそうになるのをなんとかこらえながら、琴子の腕をつかんで引き寄せた。
琴子はちゃんとわかっていて、それを自分なりに受け止めて消化いるんだ。
オレへの愛情だけを武器に、琴子なりのやり方で戦っているのだと・・・

オレは、戸惑い顔の琴子を思いっきり抱きしめた。
愛しくて思わず抱きしめたくなった時、すぐにそうできるのが結婚して一番良かったことだ
とつくづく思う。

<本当は、あなたの相原さんに対する愛情も相当なものよね・・・>
今日、松本にいわれた言葉が頭をかすめる・・・
まさか、松本に見透かされているとは思わなかったが、あえてはっきりと言われたことで、
何か吹っ切れたような気もしていた。

―その通りさ・・・誰がなんと言おうと、オレが選んだのは琴子なんだ。

オレと琴子の間では成立しているものも、まわりのものが納得しているとは限らないという
ことを今日あらためて感じた。
琴子だけにやっかいな思いを背負わせているわけにも行かない。
若くして、増してや学生の身分で結婚したことで、とやかく言う奴らはいくらでもいる。
オレの曖昧な態度が、琴子を苦しめることがないようにしなくてはいけないのかもしれない・・・



そんなある日、発表の準備で忙しくしていたオレに、琴子からメールが届いた。

<入江君、がんばってる?急なんだけど、今夜テニス部の壮行会があるの、出られる?
4回生には最後の大会だし、入江君が来ないと女子が集まらないって先輩がなげいてる
から、ぜひ来て欲しいって!なるべく早く返事ちょうだいね!>

オレは、少し考えて<出る>と返事を返した。

結局、1時間ほど遅れて宴会の席に到着すると、すでに出来上がっている後輩達にあっ
という間に囲まれて、琴子がどこにいるかも見つけられないでいた。
ひと通りの挨拶を済ませ、カンパイをせがんで次々と差し出されるグラスに適当に自分の
グラスを当てながらオレは琴子の姿を探した。


「入江先輩!なにキョロキョロしてるんですか?・・・奥さんの相原先輩なら、もうあそこで
つぶれちゃってますよ」
見かねた後輩が指差す方を見ると、琴子がテーブルに突っ伏して寝ているのが見えた。
オレは、人垣をかきわけて琴子が寝ているテーブルへ行くと、自分の上着を琴子の背中に
かけながら声をかけた。
「おい、琴子!」

「あっ・・・いりえくんだぁ〜もーぉ、おそいんだからぁ〜〜!おくさんがおまちかねですよ〜」
オレの声に頭を上げた琴子がろれつの回らない口で言いながら、抱きついてくる。

「そんなところで寝たら風邪ひくぞ・・・もう帰るか?」
オレは、琴子を支えながら聞いた。

「うーーー」
正体をなくしている琴子は、オレの肩に頭を乗せてまた眠ってしまった。
すると、それを見ていた数人の部員達が、オレと琴子を取り巻くように集まってきて、その中
からひとりの女子部員がオレの前に進み出た。

「入江先輩!酔った勢いで聞きたいことがあります」
その女子部員は1回生なのか、医学部に編入してからほとんど部活に出ていないオレには、
見覚えのない顔だった。

「何?」
オレは、琴子の頭を支えながら聞き返した。

「ど、どうして入江先輩は相原先輩と結婚したんですか?」
それは、あまりにも核心をついていて、あまりにも露骨で、確かに酒の勢いでも借りなけれ
ば聞けないことだろうと思えた。

「どうしてと聞かれてもな・・・」
オレは、苦笑いを浮かべながら、言葉を濁した。
しかし、酔っているとはいえ相手は本気で聞いていたらしく、オレの曖昧な答えにさらに語気
を荒げて言って来た。
「私、どうしても相原先輩が入江先輩に相応しいとは思えません。入江先輩は本当に相原先
輩を愛してるんですか?」

「ちょ、ちょっと、あなたいくら酔っているとはいえ、失礼なんじゃない?」
見るに見かねてか、松本裕子が割って入ろうとしたが、オレはそれを制して食ってかかって
いる女子部員に目を向けた。

「オレはこいつを愛してるよ・・・これでいい?」
オレは座ったまま、その女子部員を見上げながら言った。

「それなら聞かせてください・・・相原さんのどこが良かったんですか?」
かなり気の強い女らしく、オレのストレートな言葉にもひるむことなくさらに質問を浴びせか
けてきた。
まわりを取り囲んでいる連中は、興味津々といった顔でオレ達の様子を伺っている。

「こいつのどこが良かったかって?・・・それは君にはわからないことだと思うけど・・・」
「私にはわからないってどういうことですか?」
「そうだな・・・こいつに愛されてみないとね・・・」
オレは、眠る琴子の頭を撫でながら誰にともなくつぶやいた。

まわりがほんの一瞬静かになった。
オレの言葉に呆れたのか、度肝を抜かれたのか、本当のことを言っただけなんだからそ
んなことは関係ない。
オレはこのチャンスを逃すまいと、眠っている琴子を担ぎ上げた。

「松本、せっかくの壮行会なのに、オレと琴子のせいで座が白けちゃって悪かったな・・・
帰るよ」
オレは、人垣の向こうにいる松本に声をかけた。

「あら・・・いい余興だったわよ・・・あなたのセリフを相原さんが聞いてなかったのが残念だ
けど・・・」
松本は、意味ありげな笑いを浮かべて答えた。

「う〜〜ん、いりえくん、もうのめないの〜〜」
「わかったから、もう帰るぞ」
「は〜〜い、でもたてないの・・・おんぶ〜〜」
「ほら、ちゃんと背中に乗れよ!」
オレは、琴子を背負うと唖然と見つめている部員達に「じゃあな!」と声をかけて壮行会の
会場を後にした。



「お前、いい加減そこまで飲むのやめろよな・・・」
オレは、背中でグッタリとしている琴子に文句を言った。

「ええ〜?いりえくん、なんていったのぉ〜〜?」
「何でもないよ!」
オレは言うだけ無駄だったと、深いため息をついて琴子を負ぶいなおした。

「いりえくん、だいすき〜〜!」
琴子がオレの背中の上でいきなり叫んだ。

「わかった。わかってるから暴れるなよ!」

オレは、酔った琴子に辟易しながらも、それを楽しんでいる自分がいることも知っていた。
そうさ、琴子のどこが良いとか、琴子のどこが好きかとかそんなことが決めてじゃないこと
は最初からわかっていた。

それは琴子に愛された男にしかわからない至福・・・

―こんな幸せは、他にないな・・・

そして、それは他の誰かにわかってもらう必要などない、オレだけがわかっていればいいこ
となんだ。


―なっ?・・・そうだろ、琴子!


                                            END



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