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 愛された軌跡 −3−

今でもふと思うことがある・・・
なぜ、あの時運命は、同時に二つの試練を琴子に与えたのか・・・と。

それは喜びと悲しみ・・・至福と絶望・・・
そのあまりに対極にある感情の狭間で、オレから離れるという結論しか出せなかった琴子
の心を思うと、今でも胸がしめつけられる・・・



「ああ、私はここでいったい何回絶望を味わったかしら・・・」

ふと、あの日に思いを馳せている時に、まるでオレの心を見透かしたような琴子の言葉が
耳に飛び込んできてオレはドキリとして琴子の顔を見た。

ここは、康南(斗南)大学付属高校と中学の、校舎と校舎を結ぶ橋の上・・・
あの日、琴子を追いかけてオレもここへやって来た。

「なんだよ、やぶからぼうに・・・どうせ全部オレがらみだって言いたいんだろ?」
オレは、校舎の南側を望む橋の欄干に寄りかかりながら、琴子に言った。

「そうだよ・・・私の心は、いつでも入江君を真ん中に置いて、一喜一憂の繰り返し・・・・・
今だって・・・」
琴子は、ふっと口元に笑みを浮かべながら、ひとりごとのようにつぶやいた。

「今だって?・・・」
オレは、琴子の顔を覗き込みながら聞いた。

「今だって、すごくドキドキしてる・・・あの日、ここに立っていた自分の事を思い出して胸が
苦しくなって、でも、その後入江君も私を探してここへ来てくれたことにが嬉しくて・・・」
少し切なげな顔でそう言った琴子は、最後にオレの顔を見て「えへへ」と肩をすくめて笑った。

オレは、琴子の髪を撫でながら、肩に手を回して引き寄せると並んで橋の欄干に寄りかか
った。



「そういえば、ここにこうして二人で立つのは、初めてかもな・・・オレ達。」
オレは、橋を囲むように建っている校舎をぐるりと見回しながら言った。

「そうね・・・ここには思い出がいっぱい詰まってるけど、二人で並んで立つのは初めてかも」
琴子は、たくさんの”あの頃”に思いを馳せるように、遠い目をして答えた。

そんな時、学校の中に終業を知らせるチャイムが響き渡り、静かだった校舎が唐突にざわ
めきだした。

「そっか、今日は平日だもんね、授業をしていたから静かだったんだ・・・」
琴子が、教室から吐き出されてくる学生達の群れを見ながら言った。

「なんだか、懐かしいな・・・」
オレも、琴子の視線を追いながら言った。

「あれ?・・・お兄ちゃんと琴子じゃないか!」

驚いたような声に振り向くと、そこには数人の仲間達と一緒の裕樹の姿があった。

「わあ、裕樹くん!・・・」
琴子は感嘆の声を上げ、オレは目で合図を送った。

「どうしたんだよ?こんなところで・・・」
裕樹は、仲間達を先に行かせると、興味深そうにオレと琴子の顔を交互に見ながら言った。

「まあな・・」「入江君とデートに決まってるじゃない!」
適当に話を濁そうとするオレに反して、琴子は満面の笑みで言い放った。
裕樹が、吹き出して笑う。
「お兄ちゃんが、琴子とデート?・・・おいおい、雨でも降るんじゃないのか?」
裕樹が、からかうように琴子を見る。

「あら、失礼ね・・・私たちだって、夫婦なんだからデートくらいするわよ!」
琴子があごを上げて文句を言うのを、随分と背の高くなった裕樹が、笑いをかみ殺しなが
ら見下ろしている。
「どうせ、お前がまたわがまま言って連れ出したんだろう?」
裕樹が、琴子にニヤニヤと笑いながらにじり寄る。
「違うってばぁ!今日は、ちゃんと入江君が誘ってくれたのー!」
琴子は、からかわれているのさえ気付かずに、いつものようにムキになって答えている。

相変わらずの光景に、オレは苦笑いを浮かべながら、二人の言い争いをただ黙って見て
いた。

すると、また別の方向からオレを呼ぶ声が聞こえた。
「い、入江君?・・・」

その微かに聞き覚えのある声に振り向く・・

「やっぱり、入江君だ・・・わあ、お久しぶり!」

オレは、目の前に立っている教師らしき女性を見て、一瞬驚いて目を見開いた。
それは、高校のA組で一緒だった佐多香織*・・・高校二年の時に転校して、その後琴子が
教育実習をしている時に同じ実習生としてこの学校へ帰ってきた時に再会したことがあった。

「佐多・・・もしかしたら、この学校の教師に?」
オレは、スーツ姿に出席簿とチョークの箱を持った佐多を見て尋ねた。

「そうよ・・・私も元はここの学生だし、何ていってもA組出身ですからね・・・」
佐多は、涼しげな笑顔を見せてそう言った。

「そうか・・・」
「入江君は、もちろんお医者さんになったんでしょ?」
「ああ、今は康南(斗南)大付属病院にいる」

「そう・・・そして、もしかしてもうすぐパパになるの?・・・琴子さん、お腹が大きいみたい」
佐多は、オレを通り越して、その後ろで裕樹と言い争いを続けている琴子に視線を投げた。

「まあな・・・」
オレは、振り返って琴子の姿を見ながら、答えた。

「すごいわね、琴子さんって・・・」
ふいに、佐多が感慨深げに言った。

「えっ?・・・」
オレは、佐多に視線を戻して首をかしげた。

「だって・・・うふふ・・・あの、クールで誰にも心を許さなかった入江君に、そんな優しい顔
をさせられるんだから・・・」
佐多は、オレを見上げてそう言うと、口元に笑みを浮かべながら小さく頷いて見せた。
オレが、返す言葉もなく目を逸らすと、それを追うようにさらに佐多は言った。
「高校の頃の入江君しか知らない私には、入江君が誰かを好きになって、結婚するなん
て絶対に想像できないことだもの・・・」

「おいおい、オレはそんなに人間らしくなかったのか?・・・」
さすがのオレも、そこまで言われては多少の抵抗は試みる。

「そうね、少なくとも私は、あなたの怒った顔も、哀しい顔も、笑った顔さえちゃんとは見た
ことなかったと思うわ・・・」
佐多が、そう言ってオレに少し切なげな瞳を向けたとき、突然裕樹が琴子を怒鳴る声が聞
こえて、オレは、二人を振り向いた。
そして、それを潮に佐多は、「元気で・・・」という言葉を残して、職員室へ続く廊下を歩いて
行った。

「お前、何考えてんだ!・・・そんなことして、お兄ちゃんの気持ち考えたことがあるのかよ!」
裕樹のその声は、さっきのふざけて琴子をからかっている時とは打って変わって、本気で
怒っている声だった。

「おい、裕樹!・・・なにをそんなに怒ってるんだ?」
オレは、二人の間に割って入り、琴子を庇うようにして立つと裕樹に聞いた。

「だって、このバカ琴子は、今朝お兄ちゃんのベッドの横に手紙を置いておいたっていうから
さ・・・」
裕樹は、息を荒げながら言った。

「それがどうしたっていうんだ・・・? おい、裕樹お前余計なこと言うなよ!」
オレは、裕樹がこれから言おうとしていることを、何とか封じたいと思った。
今さら、あの時のことを琴子が知ってどうする?・・・また、琴子に余計な心痛を与えるだけだ・・・

しかし、堰を切った裕樹の感情には、オレの願いは届かなかった・・・

「あんなお兄ちゃんを、僕はそれまで見たことがなかった!・・・家中を探し回って、家を飛び
出して、母さんや父さん達に責められて、そのまま裸足でお前のことを追いかけたんだ!・・・
ショックだったよ。それなのに、あの時と同じようなことが、よく出来たもんだよな!」
裕樹は、オレの背中に隠れている琴子に向かって一気にまくし立てた。
そして、ふいに我に返ってオレの顔を見ると、「ごめん」とひと言残して、逃げるように去って
行った。


始業のチャイムが聞こえ、学生達の往来もなくなった橋の上には、いつの間にかまたオレと
琴子の2人だけが立っていた。
しばらく、オレの背中に頭をつけてじっとしていた琴子が、ひとつ大きなため息をついた。

「あの時も、裕樹君だけが私を叱ってくれたよね・・・みんな優しく私を迎えてくれた中で、裕
樹君だけが”バカ琴子!”って・・・だから、私それが裕樹君の優しさだってわかってるよ・・・」
琴子は、つぶやくようにそう言うと、オレの背中のシャツを掴んで、額を押し付けてきた・・・
背中に琴子のぬくもりが伝わり、それは微かに震えているように感じた。

琴子は、琴子なりにあの時の自分を消化している・・・だから、裕樹の怒りも黙って受け入れた。
そんな琴子だから、今もあの日の軌跡を辿って哀しい色で塗られた思い出を、新しい何かで
埋めようとしているんだ。
それが、生々しい記憶であれば、おそらくその場に立つことも出来ないに違いない・・・

”あなたの怒った顔も、哀しい顔も、笑った顔さえちゃんとは見たことなかったと思うわ・・・”
”僕は、あんなお兄ちゃんを、僕はそれまで見たことがなかった!”

オレの脳裏に、佐多や裕樹の言った言葉が、浮かんだ。
その言葉の意味を裏返せば、今のオレは、随分と変わったということらしい・・・
それも、琴子ゆえに・・・

その時、オレはふと気付いた・・・あの時のオレには、琴子と出逢って、たくさんの感情を手に入
れながら、それでもまだ欠けていたものを、あの時に知ったのだということを。
その答えは、おそらく次に琴子が行こうとしている場所にある・・・


もしかしたら、この試練は、本当はオレに与えられたものだったのかもしれない・・・

しかし、生憎なことにオレには絶対的な自信があった。
これだけは、本当にゆるぎなく言い切れる。
オレは、何があっても琴子を支えて行く。

この世にこんなにも愛おしい者が存在するなんて、それは本当は、奇跡のようなことなのかもし
れない・・・

「オレ達、ここから始まったんだよな・・・」
オレは、あらためて橋を見渡しながら、背中の琴子にそっとつぶやいた。
高校生だった琴子が、オレに向かって手紙を差し出している場面が浮かび、オレは思わず微笑
んだ。

「うん、最初はひどく振られちゃったけどね・・・」
琴子が、皮肉を込めて答えた。

「ああ、そうだな・・・」
オレは、空を見上げて返事をした。

「お前、よくあきらめなかったよな・・・」
オレは、振り向いて琴子の顔を見ながら言った。

「うん・・・大好きだったから・・・」
琴子が、穏やかな微笑みを浮かべて答えた。

「そろそろ、帰ろうか?・・・疲れたんじゃないか?」
オレは、琴子の肩を抱いて歩き出しながら言った。
しかし、琴子は「う、うん・・・でも・・・」と言いながら、物足りなげにオレを見上げる。

「ん?・・・」

「あのね、もうひとつだけ行きたいところがあるの・・・私は大丈夫だから行ってもいい?」
琴子が、遠慮がちに言う。

「お前が大丈夫なら、オレはいいよ・・・」

「ホント?・・・じゃあ、そこで終わりにするから・・・ありがと!」
琴子は、嬉しそうにそう言うと、オレの手を握って再び歩き始めた。


                                       つづく

 *佐多香織⇒キューブオリジナルのキャラクターです。詳しくはAnother story「初恋」をお読みください。


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