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 媽媽(ママ)のご褒美

オレは、夜中にふと喉の渇きを覚えて、ベッドの上に起き上がった。
隣を見れば、苦難をひとつ乗り越えて再びやる気を取り戻したナイチンゲールがぐっすり
と眠っている。

「ご苦労様・・・」
オレは、琴子の寝顔に向かってつぶやくと、首元まで布団を掛けてやってから、そっとベ
ッドを降りて部屋を出た。

夜中の0時を過ぎた家の中は、しんと静まり返っていて、家族はみながそれぞれの部屋
にいるとわかっていても、階段を降りる時はつい足音を忍ばせてしまう。
ところが、誰もいないと思っていたダイニングに明かりがついてるのが見えて、オレは、物
音をたてないように慎重に足を運びながら、テーブルが見えるあたりまで進むと、首をの
ばして中を覗き込んだ。
すると、ダイニングの入口に背中を向けるようにして、オフクロが座っていた。
オフクロの手元は見えないが、何かを手に持って眺めながら楽しげにひとりごとを言って
いる。

「あら〜これ素敵!・・・これは、ちょっとダメね・・・これも、却下ね・・・あっ、これもいいわ〜」

微かに聞こえてくるオフクロのつぶやきに、あれこれと想像を巡らせながら、オレは意を決
してそっとオフクロの背後に近づいた。
オフクロは、迫るオレにまったく気付く気配もなく、両手に持った何かを、あれこれ批評しな
がら右と左に振り分けているように見えた。

―写真?・・・かな。

そして、オレは、とうとう気付かれないままオフクロの真後ろに立つと、背の高さにまかせて
真上からオフクロの手元を覗き込んだ・・・

―な、なんだこれは!・・・

オレは、オフクロが手に持っている物を見て、思わず開いた口が塞がらなくなった。
それは確かに写真だった・・・そして、そこに写っていたのは・・・

「よし・・・これだけあれば、琴子ちゃんもきっと喜ぶわよね〜うふふ・・・」
オフクロは、まったくオレの存在に気付かずに嬉しそうにつぶやいている。

「誰が喜ぶって?・・・」
オレは、オフクロの真後ろからことさら低い声音で囁いた。

「えっ?・・・きゃあ〜!」
驚いたオフクロが、手に持っていた写真をあたりにばら撒きながら、勢いよく立ち上がって
こちらを向いた。

「お、お、お、お兄ちゃん!・・・ど、ど、どうして・・・」
オフクロは、オレを指差しながら大きく目を見開いている。

「喉が渇いたから、何か飲もうと思って降りてきたんだよ・・・それより、こんな夜中に何をコ
ソコソやってるんだ」

オレの言葉にハッとした顔になったオフクロは、慌てたようにテーブルや床の上に散乱した
写真をかき集めている。
オレは、大きなため息をつきながら足元に落ちていた一枚を拾いあげると、呆れきった顔で
尋ねた。
「オフクロ?・・・どうして、こんなにたくさんオレの写真があるのか、ちゃんと説明してくれ」

「あ、あら・・・母親が、息子の写真を持っていたら悪い?」
オフクロは、オレの視線にひるみながらも、虚勢を張って抵抗してくる。

「そういうこと言ってるんじゃないだろ?・・・どうして、オレが病院にいる時の写真がこんなに
いっぱいあるのかって聞いてんだよ」

そう・・・オフクロが持っていた写真には、今病院で実習をしている白衣姿のオレばかりが写
っていた。
オレは、今同じように看護実習をしている琴子が、担当患者の吉田さんから、オレの写真を
とりあげようとしていたことを思い出して、ふと尋ねた。
「まさか、琴子に頼まれたんじゃないだろうな・・・あいつ、実習の最後に白衣のオレと
写真を撮りたいとも言ってたし・・・」

「ち、違うわよ・・・琴子ちゃんに頼まれたわけじゃないわよ・・・」
オフクロは、慌ててオレの言葉を否定する。

「じゃあ、なんでこんな写真があるんだよ」
オレは、腕を組んでオフクロを睨みつけると、有無を言わさぬ態度で言った。

「琴子ちゃんから吉田さんって患者さんのことを聞いたのよ・・・それで、琴子ちゃんもお兄
ちゃんの白衣姿の写真が欲しいって言ってたから、看護実習をがんばったご褒美に琴子
ちゃんにプレゼントしようと思って・・・」
オフクロが、上目遣いにオレを見ながら言いよどむ。

「それで、わざわざ病院まで来て、こそこそ隠し撮りしたってわけか?・・・」

「ま、まあ、そういうことになるわね・・・」
オフクロは、肩をすくめると舌を出しながら答えた。

「まったく・・・」
オレは、大げさなため息をひとつ付いた。
すると、それまでバツが悪そうにしていたオフクロが、急に真顔になってオレの顔を見た。

「だって・・・琴子ちゃん、がんばったじゃない?それなのに、お兄ちゃんはそんな健気な琴
子ちゃんのささやかな希望にも答えてあげないんですもの・・・いつもいつもきついことばか
り言って、琴子ちゃんを追い詰めて・・・琴子ちゃんは、お兄ちゃんのためにがんばっている
のに・・・あんな可愛い奥さんは他には・・・」

「お、おい・・・オフクロ・・・」
オレは、拾い集めた写真を揃えながら、どこまでも続いていきそうなオフクロの不満をなん
とか遮った。
すると、不意に顔を上げたオフクロが、オレを睨みながら「わかってるわよ・・・」とひとこと
言った。

「えっ?・・・」
オレが、面食らってオフクロの顔を覗き込むと、オフクロはさらに不満気な顔をしながら話
を続けた。

「お兄ちゃんがどんなにきついことを言ったって、ひどいことを言ったって、それが琴子ち
ゃんのためだってことぐらい、私は母親なんだからわかってるって言ってるのよ。そして、
琴子ちゃんはそんなお兄ちゃんの言葉で、すぐにまた元気になるの・・・でもね、ママはい
つでも琴子ちゃんに笑っていて欲しいの・・・喜ぶ顔が見たいの・・・」
オフクロは、そこまで言って、もう一度オレの目を見上げると、念を押すように「ただそれだ
けなのよ」と言って、微笑んだ。

オレは、その穏やかな微笑みに少しひるみながら、ふっとひと息吐き出した。

「なあ、オフクロ・・・頼むから何事も控えめにやってくれよな・・・大騒動を起こすのは琴子
だけで十分なんだよ・・・」
オレは、内心負けを認めながらも、なんとか釘を刺してキッチンに入っていった。

「はいはい、わかりました・・・」
オフクロは、さもうるさそうに苦笑いを浮かべながら答えると、冷蔵庫を開けているオレに
向かって「おやすみ」と言いながらダイニングを出て行った。

思えば、あの母の愛情なくしては、オレと琴子の今はない。
オレが、意にも介さなかった頃から、ただひたすらオレと琴子が結ばれることを願って奔走
していた母・・・

―琴子が、オレに相応しい相手だと最初に見抜いたのはオフクロだもんな・・・

オレは、水を入れたグラスを持ったままキッチンを出ると、オフクロの上がっていった暗い
階段を見つめた。

この看護実習で、確かに琴子はがんばっていた。
自信をなくして、病院の屋上でうなだれていた時でさえ、「やめちまえ」というオレの言葉に
振り向いた琴子の表情には、最初から「やめる」などということは考えていなかったことが
伺えた。

―がんばったご褒美か・・・

オフクロの愛情は、多少ずれている感は否めないが、確実に琴子に満面の笑みをもたら
すだろう・・・
オレは、グラスの水を飲み干すと、部屋へ引き上げながら、ふと浮かんだ考えに思わず
吹き出した。


琴子の看護実習も、明日で終る。
別に、オフクロに対抗しようと思っているわけじゃない・・・ただ、最後に、琴子の望みを叶
えてやってもいいかなと思っている自分がなんだかおかしくて・・・


                                         END


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