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 幸せな誕生日の結末



「ね、ねえ入江君!携帯鳴ってるよ・・・」
琴子が、オレのキスから逃れるように顔を離すと言った。

「ああ・・・」
オレは、随分と長いこと鳴り続けていた携帯をポケットから取り出すと、仕方なく電話に出た。
電話の相手が誰なのかはわかっていた。
「もしもし」と素っ気なく出ると、すぐに思ったとおりの声が返ってきた。

「お兄ちゃん!何ですぐに出ないの?もう、こっちは心配で心配で胸がつぶれそうなのに・・・それ
で?琴子ちゃんは見つかった?」
オレは携帯を耳から少し離してオフクロの大きな声をやり過ごすと、琴子は無事だったことを簡単
に説明した。
そして、まだ何か言いたげなオフクロの言葉を遮るように「これから帰る」と言って電話を切った。

琴子は、オレがはめてやった指輪とハートのキーチェーンのついたスペアキーを交互に見ては、
幸せなため息をついている。

「おい、腹も減ったし帰ろう・・・」
オレが声をかけると、琴子は素直に「うん」と言って立ち上がった。


深夜ということもあってタクシーで家に帰りつくと、オレと琴子は少し緊張しながら玄関のドアの前
に立った。
結局、琴子の望んだ2人きりのデートも、レストランでの食事も叶わなかったことで、オフクロが何
か用意しているのではないかと、オレ達は予想していた。
玄関の扉を開けた瞬間に、クラッカーが鳴り響き、シャンパンの蓋が勢いよく飛んでいき、家族が
一斉に「おめでとう」と叫ぶ場面が容易に想像できた。

「いいか?開けるぞ・・・」
「う、うん・・・いいよ」

オレは、琴子の言葉を合図に、思いきって大きく玄関のドアを開けた。
しかし、思っていたような歓迎のセレモニーは始まらず、目の前には電気すら付いていない暗い玄
関ホールが広がっていた。
オレと琴子は、思わず顔を見合せて笑うと、次には大きな安堵のため息をついた。

しかし、こんなハプニングのあった夜に、オフクロが何も行動を起こさないなど、これまでの経験上
考えられないことだった。
それでも、明かりの消えたリビングやダイニングはシーンと静まり返り、誰かが潜んでいるような気
配はない・・・
オレは少し拍子抜けしながら、暗い階段を琴子の手を引いて上がっていった。

部屋の中へ琴子を先に入れると、オレは壁のスイッチを探して部屋の明かりをつけた。
すると、先に部屋の中を見回した琴子が、「見て、入江君!」と声をあげてオレを振り返った。

明かりのついた部屋を見回すと、壁に貼られたピンク色の横断幕がまず目に飛び込んできた。
<Happy birthday 琴子ちゃん>と書かれた横断幕には、見覚えがあった。

そして、部屋の隅のリビングテーブルの上には、サンドウィッチとバースデーケーキ、ワインクーラ
ーに入ったシャンパンと、グラスや皿が綺麗にセットされて置かれていた。

オレは、琴子に引っ張られるようにしてテーブルの上を覗き込んだ。

「ねえ、見て・・・ちゃんとケーキにもお誕生日おめでとうって書いてある・・・お義母さん、用意してて
くれたんだ・・・」
琴子が目に涙を浮かべながら、感慨深げにつぶやく。

「オフクロらしいな・・・ほら、見てみろよ、ワインクーラーの氷がまだほとんど溶けてない・・・きっと、
たった今準備したんだな・・・もしかしたらその辺に隠れてるんじゃないか?」
オレはオフクロの粋な演出にふと胸が熱くなるのを感じながらも、油断なくあたりを見回した。

そんな時、まるでオレの心を見透かすように携帯が振動して、オフクロからのメールが届いた。

『お帰りなさい・・・私からのサプライズは気に入ってもらえたかしら? それから、どうせお兄ちゃん
のことだから琴子ちゃんへのプレゼントなんて用意していないでしょう?バスルームを覗いてみて
ね・・・では、2人きりの素敵な夜を・・・』

オレは、メールを読むとすぐにバスルームを覗いて見た。
すると、そこに見つけたものを見ながら、オレは大きなため息をついた。

―これを、オレにいったいどうしろって言うんだよ・・・

「入江君・・・どうしたの?ねえ、早く食べようよ・・・」
琴子が、急に立ち上がってバスルームに入ったオレに不審げに声をかける。

―今日ばかりは仕方ないか・・・

オレは、観念すると、今頃自分のベッドの上で満足げに微笑んでいるであろうオフクロの顔を苦々
しく思い浮かべながら、”それ”を手に取ってバスルームを出た。
すると、こちらを見た琴子の手から、今まさにかぶりつこうとしていたサンドウィッチがポロリ落ち、
まるでスローモーションのように琴子が立ち上がった。

「ば、バラの花束?・・・」
琴子が、少し呆けたように聞く。

「当たり前だろ・・・これが他の何に見えるんだよ・・・」
オレは、照れくささも手伝って素っ気なく答えた。

しかし、オレの手からバラの花束を受け取った琴子は、オレの言葉など耳に入っていないかのよう
に、夢見るような眼差しでそれを見つめて瞳を潤ませている。

「ねえ、ちゃんと私の年の数だけバラの花があるよ・・・お義母さん、私が2人きりでお誕生日をした
いなんて我がまま言ったのに、ちゃんとこうして用意しておいてくれたんだね・・・すごく嬉しい・・・」
琴子は、花束を抱きしめると、その香りを大きく吸い込んだ。

「琴子・・・誕生日おめでとう・・・」
オレは、琴子の幸せそうな笑顔にほだされて、今日何度目かの言葉を、あらためて口にした。
すると琴子は、オレの肩に頭を乗せて「うん」と小さくつぶやいた。


黄金色のシャンパンをグラスに注げば、立ち上る泡の中に今日のさまざま出来事が包まれて、ひ
とつひとつ弾けて消えていく。
今、見えるのは愛おしいその笑顔だけ・・・

オレは、グラスを置いて琴子に口づけると、その体をそっと抱きあげてベッドに横たえた。
少し眠そうな目でオレを見上げる琴子の腕がオレの背中を抱きしめる。
オレは、ゆっくりとその首筋に顔を埋めていった・・・

<誕生日プレゼントは何が欲しい?>
<えっ?何かくれるの?・・・えっと、えっとね〜それなら、私を好きって言って欲しいな・・・>

素肌にシーツを巻きつけたまま眠ってしまった琴子を見つめながら、オレは琴子へのプレゼントを
ひとつ忘れていたことを思い出した。
いつも口にして言えない言葉を、こんな時こそ言ってやればよかったと、ほんの少しの後悔がよぎ
る・・・

「好きだよ・・・」

オレは、その耳元にそっと囁いてみた。


カーテンの隙間から差し込む月明かりが、花瓶に活けられたバラの花をほんのりと照らしている。
オレは、今日1日の琴子を思い浮かべて、思わず笑った。

血だらけの姿で現れて驚かされた・・・
思い出の品々を懐かしそうに見つめていた・・・
オレがはめてやった指輪を幸せそうに眺めていた・・・
そして、薔薇の花束にシャンパン・・・

―本当に、すごい誕生日だったな・・・

でも、きっと琴子は、今満足して眠っている・・・
オレは、琴子のむき出しの肩に手を回して抱きよせると、幸せの余韻を残す頬に唇を寄せた。


そしてオレも・・・


グラスに残ったシャンパンの、最後の泡の一粒が弾ける音を微かに聞きながら、深い眠りの中へ
落ちていった。


                                             END


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