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 優しさのチカラ −留守電より愛をこめて・外伝−

定期試験を3日後に控えたある日、ボクはいつもより少し夜更かしをして試験範囲の見直し
をしていた。
それは、好美の高校も、同じ時期に定期試験があり、きっと試験の直前には好美の家庭教
師をする羽目になるに違いないから、自分の分は先に済ませておこうと思ってのことだった。
時計を見ると、すでに10時を過ぎている。そろそろベッドに入ろうかと、ボクが机の上を片づ
け始めた時不意にドアがノックされ琴子の声が聞こえた。

「ねえ、裕樹君・・・まだ起きてたらちょっと聞きたいことがあるんだけど・・・」

琴子にしては、随分と控え目な言い方にボクはかえって戦慄を覚えながら部屋のドアを開
けた。

そういえば、この2日間お兄ちゃんが帰ってきていないらしい・・・
簡単な連絡のメールが来るだけで、同じ病院に勤めていても顔も見れないし声も聞けないと
夕飯の時に母さんにこぼしていたっけ・・・

愚痴の相手をさせられるのはごめんだと思いながら、押さえた扉の向こうに立っている琴子
を見ると、携帯電話を握りしめ、まるで泣き笑いのような顔をしてボクのことを見つめている。

「なんだよ・・・もう寝るところなんだけど」
「う、うん、ごめんね・・・あのねこの携帯電話なんだけど、私がお風呂に入ってる間に入江君
から電話があったみたいなの」
「へえ、そりゃせっかく声を聞くチャンスだったのに残念だったな・・・」
「ううん、その前に私から電話をかけて話はしたの・・・でもね、そのあと今度は入江君が
電話をくれてて・・・」
琴子はそこまでいうと、ボクの目の前に携帯の画面を突き出すように見せながら「これって留守
電が入ってるっていうマークだよね?・・・」と聞いた。

ボクはあまりに近くに差し出されてよく見えない画面を、体をのけぞらせながら見た。
すると確かに、携帯画面の右上の端に携帯電話会社のセンターに留守電が録音されているこ
とを示すマークがついているのが見えた。

「そうだけど、それがどうしたんだよ・・・」
ボクは、その時すでに琴子の言いたいことがほとんどわかっていながら、わざと鬱陶しそうな口
調で聞き返した。
すると琴子は、今にも泣きそうな顔でボクを見上げると、ボクが予想したそのままの言葉を口に
した。

「あ、あのね・・・あの・・・留守電ってどうやって聞いたらいいの?・・・」

―やっぱり・・・!

「はあ??」
ボクは心の中で大爆笑しながらも、呆れた声を出して琴子を見た。

「だって、留守電なんて私から入江君の携帯に入れることはあっても、私の携帯に留守電が入
ってることなんて今までなかったから、使い方がわからないんだもん!」
琴子は、開き直ったように口を尖らせながら文句を言うと、最後には情けない顔をして俯いた。

ボクは、とうとう堪えきれず笑いだすと「貸してみろよ」と言って琴子から携帯を取り上げた。
そして、留守電を聞く番号をプッシュして受話口を耳に当てた。

「ねえねえ、入江君からの留守電でしょ?」
琴子がせかすように聞いて来るのを、人差し指を唇にあてて「しー」と制しながら耳を澄ました。
すると、聞こえてきたのはあまりにも優しいお兄ちゃんの声・・・

『おやすみ琴子。あ・・・明日には必ず帰るからな・・・』

―えっ?・・・こ、これお兄ちゃん?

「あーん、裕樹君ずるい〜私にも聞かせて〜ねえ、どうすればもう一回聞けるの?」

ボクは、琴子に携帯を手渡すと「こうするんだよ」と言いながら、再生する方法を教えてやった。
すると、半信半疑な顔をして携帯を耳に押し当てていた琴子の表情が、みるみる笑顔になり、
最後には、とろけてしまいそうなほど幸せそうな表情に変わっていった。

それは、こっちが見ていて照れくさくなるほどに・・・

さらに琴子はもう一度同じ動作を繰り返すと、携帯に向ってうんうんと頷きはじめ、ボクはそん
な琴子を、呆れるのすら通り越してなんともいえないくすぐったいような想いで見つめていた。
すると、琴子はボクの視線に気づいて慌てて表情を元に戻すと「ありがとう、おやすみ・・・」と
言って、隠しきれない幸せの余韻を残しながら自分の部屋へ引き揚げて行った。

その時のボクはといえば、ある種の衝撃にもにた感動を味わいながら、弾むように廊下を歩い
て行く琴子の背中を見送っていた。


思いもよらずに聞いてしまったお兄ちゃんの留守電・・・
それは、確かにお兄ちゃんの声でありながら、ボクには一度も聞いたことのないあまりにも優
しい響きを持ったお兄ちゃんの声だった。

そして、「おやすみ琴子」と言ったあと、「あ・・・」と言って、一瞬言いよどんだ時に、お兄ちゃん
は本当は「愛してる」と言おうとしたのではないかと、思っていた。
違う言葉にうまくすり替えてはいたけど、ボクにはそんな気がして仕方がなかった。

いつだって琴子に対しては、素っ気なくて、冷たくて、怒っていて、呆れてばかりいるお兄ちゃ
んが、本当は、琴子以上に琴子を想っていることをボクは知っている・・・
でも、2人きりの時、お兄ちゃんは時にあんなに優しい声で琴子に話かけることがあるんだと
ボクは今初めて知った気がしていた。

それは、それまで不満ばかり口にして、寂しくて不安で切なげだった琴子の表情を、ほんの
一瞬であんなにも幸せそうな笑顔で輝かせてしまうチカラを持っている。
そして、だからこそ琴子はずっと変わらずお兄ちゃんだけを想っているのだとボクは確信して
いた。

―好美はどうかな・・・

ボクは、机の上に置いてあった携帯を手に取ると、ほとんど無意識の内に好美にメールを打
っていた。

『声が聞きたい・・・』

すると、送信ボタンを押してから、わずか30秒とたたない内にボクの手の中で携帯電話が振
動した。

「もしもし?」
ボクは、努めて抑揚のない声で電話に出た。
すると、電話の向こうからは、その嬉しそうな表情がはっきりと浮かぶような、明るい声が返
ってきた。
「裕樹君?・・・メールありがとう、すごく嬉しくてすぐに電話しちゃった・・・今大丈夫なの?」

ボクは、なぜかほっとしながら、それでも「ああ」と、気のない返事を返した。

「でも、どうしたの?裕樹君が私の声を聞きたいなんて言ってくれるなんて珍しいね・・・」
その弾むような声は、ボクの自尊心を十分に満足させながら、同時に自分のしたことをあら
ためて気付かせていた。

「悪いかよ・・・」
ボクは、照れ隠しも手伝って、ついそんな風に答えていた。

「悪くなんかないよ・・・私はホントに嬉しい、だってね試験勉強に行き詰っちゃって、もう裕樹
君の声が聞きたくてしかたなかったから・・・」

好美の答えは、どこまでも透明で、そんなところはどこか琴子とよく似ているように思えた。

それなのにボクは・・・
素直になれなくて、もちろん「愛してる」なんて言えなくて、それでも愛おしくて・・・だからボクは
ボクに出来る精一杯の優しさを込めて好美に言った。
「勉強見てやるから、明日から家に来いよ・・・」

「えっ?ホント?・・・わあ嬉しい、ありがとう・・・」
好美の嬉しそうな声が、ボクの心を温かく満たしていく。
そして、あらためて感じていた・・・ボクはやっぱり入江直樹の”弟”なんだと。


それからボクは、好美との電話の後に、ベッドの中からお兄ちゃんの携帯にメールを打った。
それは、心からの憧れと尊敬・・・そしてほんの少しの羨望を込めて・・・

『たったひと言で義姉さんをあれだけ喜ばすことができるなんて、さすがだね・・・でも、留守電
入れるなら、まずはちゃんと使い方教えておいて欲しいもんだけど・・・おやすみ。裕樹より』


                                            END


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