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 会いたいから・・・ −幸せな朝…Naoki Version−

「おい入江!帰るのか?」

深夜の病院。
白衣を脱いでオフィスから出てきたオレは、西垣医師の声に振り向いた。

「ええ、帰りますよ」
オレは、バッグを肩にかけながら素っ気なく答えた。

「なんだ・・・当直以外は自宅待機って言われたからって、こんな時間じゃもうバスもないだろ?
残ってくれててもいいんだぜ。オレもお前がいてくれた方が心強いしな・・・」
西垣医師は、顔に薄笑いを浮かべながらオレの肩を掴んだ。

「悪いですけど、タクシーで帰りますよ・・・風呂にも入りたいし、明日は遅番ですからね今か
ら帰ってもゆっくり寝られますから・・・」
オレは、肩に乗った西垣医師の手を体の向きを変えて露骨に外しながら答えた。
すると、西垣医師が不意ににやけた顔になって、オレを見つめながら言った。
「ふーん・・・なるほど〜琴子ちゃんが待ってるのか・・・そうか、そういうことだな・・・いつも入江
くーん、入江くーんって纏わりついてるもんな・・・帰れる時は帰ってやらないとうるさいか・・・
ご苦労さんだな。あはは・・・」
西垣医師は、自分の言葉に勝手に納得したように何度もうなづきながら、オレの返事も待た
ずに背中を向けて去って行ってしまった。


オレは深夜タクシーの後部座席に深く腰を下ろすと、帰り際に西垣医師に言われた言葉を思い
出して思わずクスリと笑った。

<琴子ちゃんが待ってるのか・・・>

腕時計を見ると、すでに夜中の12時を回っている。
今夜、オレは帰らないと思っている琴子が、起きているとはとても思えない時刻だった。

―間違いなくあいつは爆睡してるな・・・

琴子がベッドの真ん中で枕を抱え込んで眠り込んでいる姿が頭に浮かんで、ふと笑いがこみ上
げる。
そして、オレは絶対に口にはしないと思いつつ、西垣医師の言葉を心の中で訂正していた。

―違いますよ西垣先生。オレがあいつの顔を見たいから帰るんです。


そっと家の鍵を開け、音を立てないように慎重に部屋にたどり着くと、案の定琴子は煌々と明か
りのついた部屋の大きなベッドの真ん中で、思ったとおりに枕を抱きしめて眠っていた。

ベッドの脇まで行って、眠る琴子の顔をのぞき込む。
多少のことでは目覚めそうもない琴子は、どんな夢を見ているのか、微かに笑みを浮かべて眠
っているように見えた。

そんな時、オレは目を閉じて小さなため息をつく・・・
吐き出した息と共に今日の疲れが体の中から抜けていく気がする。
琴子だけがオレを癒す唯一無二の存在・・・だからこそ、こうしてオレはここへ帰って来る。

オレは手早くシャワーを浴びると、早々にベッドに潜り込んだ。
ぐっすりと眠りこんでいる琴子は、オレが隣に寝てもまったく気づく様子もなく、オレは琴子を抱
きしめようと伸ばしかけた手を結局は引っ込めて背中を向けて目を閉じた。
少し物足りない気持ちは否めない・・・それでも疲れきった体は、どこよりも一番落ち着くこのベ
ッドの上で琴子の香りに包まれれば、あっという間に眠りの中に引き込まれていった。


すぐ耳元で、目覚まし時計が鳴り始めた。

オレは、顔をしかめながらその音が鳴りやむのを待った。
そして、目覚ましの音が止むと同時に、ベッドが激しく揺れてどうやら琴子が飛び起きたようだ
った。

「い、入江君・・・昨夜は泊りだって言ってたのに・・・」
琴子のつぶやきが聞こえて、オレはその時になって琴子は昨夜オレが帰ったことを知らなかっ
たのだとということを思い出していた。

寝たふりでしばらく様子をうかがっていると、琴子の息づかいがすぐそこに感じられて、琴子が
オレの顔を覗き込んでいるのがわかり、不意に琴子のささやきが聞こえた。

「ねえ、入江君?・・・どうして帰ってきたの?」

それは、オレに話しかけているというよりはひとり言のような響き・・・
どうやら琴子は、オレがぐっすり眠り込んでいると信じているらしいことがわかって、オレはその
まま琴子の囁きを聞いていた。

「ねえ、もしかして私に会いたかったから?・・・」

―えっ?・・・

まるでオレの心を見透かしたような言葉は、すぐに琴子のクスクス笑う声に打ち消され、オレは
目を開けるタイミングを失ったまま寝たふりを続けていた。


しばらくの沈黙・・・それでも琴子の気配はずっとすぐそばに感じられて、琴子がオレをじっと見
つめているのがわかる。
そして、少しくすぐったい気持になったオレがいい加減目を開けようかと思った時にその囁きは
聞こえた。

「ねえ、入江君?こんな風に入江君の寝顔を見てるとね、私ホントに涙がでそうになるんだよ・・・」

それは、何年たっても変わらない琴子の愛情の証しのような言葉・・・
琴子の心の中の言葉がその唇を伝わって、今ほんのいたずら心で寝たふりをしているオレの
心を揺さぶる。

「大好きだからね・・・入江君」

―わかってる・・・


琴子の指がオレの鼻筋を撫でていく・・・こらえ切れずに寝返りを打つ振りで琴子に背中を向け
ると琴子の唇がオレの頬に触れて、オレの心はとうとう白旗を挙げていた。

「ねえ、入江君?・・・やっぱり私に会いたくて帰ってきたなんて絶対に言わないよね・・・」

―もし、素直にそう言えたらお前はどんな顔するんだろうな・・・

でも・・・
「うるせーな」
やっぱりオレの答えは、いつも心と裏腹・・・それでもオレは琴子が一番幸せな顔をする瞬間を
知っている。

驚いた顔でオレを見つめている琴子を、腕を伸ばして抱き寄せる。
口をついて出るのは、素直になれないオレの精一杯の告白。
「お前に会いたくて帰ってきたなんて・・・絶対に言わないね・・・」
果たしてこの気持ちが琴子に伝わるのかどうか・・・

それでも・・・

その幸せそうな琴子の笑顔が、何よりこのオレを幸せにしていることだけは間違いない・・・


                                             END


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