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 夕焼けに架かった虹

病院からの帰り道、思いがけない場所で琴子を見つけた。
西に傾いた太陽が、空の端を赤く染めはじめる時刻・・・家にほど近い公園のブランコに座った琴
子は、両手で鎖を握った格好で肩を落としてうなだれていた。

―まったく、あんなところで・・・

オレは、小さくため息をつくと、昼過ぎまで降っていた雨のなごりの湿った砂を踏みながら公園の
中に入っていった。

オレの気配に気づいた琴子が顔を上げる。
「入江君?・・・」

「そんなところでなに落ち込んでんだよ・・・」
オレは、うつろな目をした琴子を見下ろしながら言った。

「知ってるくせに・・・」
琴子が拗ねたように口を尖らせながら横を向く。

「まだ安静にしてなきゃいけない患者を外に連れ出して師長に絞られたって?・・・」
オレは、胸の前で腕を組んで茶化すように言った。
すると、琴子は勢いよくオレを見上げると、涙で潤んだ瞳を大きく見開きながら訴えた。
「だって、私はめぐみちゃんに青空を見せてあげたかっただけなのに・・・私、約束してたの、ちゃん
と治療をがんばったら、必ず病院の庭に出て青空を見せてあげるって・・・だから、だから・・・」

「でも、お前は看護師だろ?・・・」
オレは、決して責めるつもりはなくただ諭すように言った。

「そうだよね・・・私が間違ってたことよくわかってるよ・・・でも、でも・・・」

「でも、約束を守ってあげたかった・・・か?」
オレの言葉に琴子がコクリと頷く。

―お前って、そういう奴だよな・・・

情けない顔をしてオレを見上げた琴子の瞳から大粒の涙が零れ落ちる・・・
オレは、ブランコに座ったままの琴子の前に立つと、人差し指で涙を拭ってからその髪をそっと撫
でた。

「ほら、帰るぞ・・・立てよ」
オレは、琴子の手を取って立たせると、琴子の肩を抱いて歩き始めた。
ところが、晴れ渡っているはずの空から突然雨が降り出した。

「お天気雨?・・・」
「みたいだな・・・」

オレは、天を仰いできょとんとしている琴子の手を引いて公園の中の東屋へ走った。
しかし、雨はほんの一瞬だけ強く降って唐突に上がり、見上げれば、さらに西に傾いた太陽が、お
天気雨を降らせた薄い雲を紅い夕焼けに染めていた。
「お天気なのに雨が降ってくるなんて・・・きっと私がしたことを、お空の神様も怒ってるんだね・・・」
東屋の軒から落ちる雨のしずくに手をかざした琴子が、さらに落ち込んだようにつぶやく。

しかし、琴子と反対の方角を見ていたオレは、琴子の言葉が間違っていることにいち早く気づいて
いた。

そう・・・この天気雨は、たぶん琴子の優しさへのご褒美だということを・・・
「空の神様は、別に怒ってるわけじゃないみたいだぞ・・・」

「えっ?・・・」
琴子がオレの言葉に驚いて顔を上げる。
オレはそんな琴子に微笑んで見せるとその肩に手をかけて体を回転させながらそっと背中から抱
きしめた。

「ほら、見てみろよ・・・」
オレの言葉に、琴子が空を見上げる・・・

「に、虹だ・・・夕焼けの中に虹が架かってる・・・きれい・・・」

夕陽に紅く染まる空に、一筋の虹がかかっていた。
それはまるで幻想的な絵画を見るような、不思議な光景だった。

「な?・・・空はお前のやったことを褒めてくれてる・・・だから明日師長にちゃんと謝れ。いいな?」

「はい。」
琴子は、はっきりと答えた。


それから、オレと琴子は夕焼けの空にかかった虹が、ゆっくりと消えていくのを最後まで眺めていた。


琴子は神にも愛されているらしいと思ったのはいつのことだったか・・・
オレは、ずっと前から気付いていたことを、今あらためて思った。

琴子の何の駆け引きもない真っ直ぐな愛情は、時に本人が思うよりもずっと大きな幸せを人に与
えているということを・・・
そして、それがまわり回って必ず琴子にも幸せをもたらすということも・・・


もちろん、そんな琴子を誰よりも愛しているのがオレだということも・・・


                                                  END


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