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 窓ガラス −直樹編−

オレは、ふと耳を澄ませながら顔を上げた。
弾むように階段を駆け上がってくる音が聞こえて、笑いがこみ上げる。

―今夜は上機嫌か・・・

オレは、目の前のパソコンのモニターの向こうの窓ガラスに目を向けた。
夜の窓ガラスは鏡のように、今まさに勢いよく開いたドアからオレの背中を見つけた琴子の表情を
ハッキリと映し出していた。

オレを見つけた琴子の表情がぱっと笑顔になる瞬間が好きだ・・・
しかし、振り向かないでいると、琴子はパソコンのモニタとオレの顔を交互に見つめて困った顔にな
って行く。
声をかけるべきか、かけないべきか・・・琴子の心の中に葛藤が起こるとき、その大きな瞳は天井を
見上げてしばらくその動きを止める。

琴子は結局オレに声をかけないで、静かにドアを閉めると音をたてないように部屋の中に入ってき
て大人しくベッドの端に腰掛けた。
そして、サイドボードに置かれていた何かの雑誌を手に取るとパラパラとめくり始める・・・しかし、そ
れがポーズで、オレの様子を伺っていることはすぐに分かった。

―おいおい、雑誌が逆さまだぞ・・・

オレは、下を向いて込み上げてくる笑いを何とか飲み込むと、もう一度窓ガラスの中の琴子の様子
を伺う。

すると、さっきまで寂しげにしていた表情が一変して、膨れっ面になっている。
オレがあまりに無反応だから怒ったのか・・・
しかし、その膨らんだ頬がしぼんでいくと、今度は大きなため息が漏れ始めた・・・何度も何度も・・・

いったい、この数分間の間にどれ程の感情が琴子の心をかすめて行ったのか・・・


オレは、うつむいた琴子の横顔を見つめながらふと思った。
まるで琴子は、今オレが見ている夜の窓ガラスのようだと・・・

その心は、吸い込まれそうに透きとおっているのに、惜しみなくその面に全てを映し出す・・・


「おい!」
オレは、背中を向けたまま琴子に声をかけた。

「えっ?・・・なに?・・・」
琴子は、まるでたった今夢から覚めたように、驚いた顔でオレを見上げた。

「なに?・・・じゃないだろ。そんなに何度もため息つきながら後ろで百面相されてたら気になって
何も頭に入らないだろ!」

「ご、ごめん・・・仕事の邪魔しちゃった?」

オレを怒らせたと思ったらしい琴子が謝りながら窓ガラスに視線を向けた。
オレは、その今にも泣きそうな視線を、笑顔で受け止めた。
オレの笑顔が意外だったのか、琴子の目がみるみる大きく見開かれた。

「バカ・・・別に仕事なんかしてねーよ!」
オレは、琴子のポカンとした顔に向かって言った。

「ええ〜〜??そうなの〜?」

そして、今度は口を尖らせてプイっと横を向いて黙り込んでしまった。

―まったく、喜んだり怒ったり忙しい奴・・・

オレは、琴子の隣に腰掛けると、まるでとどめを刺すように耳元に囁いた。
「で?・・・何かいいことでもあったのか?」

「えっ?・・・何でわかるの?」
拗ねていた表情が驚いた顔に一変させて琴子が振り返る。

「だってお前、部屋に入って来た時、すごい嬉しそうな顔してからさ・・・」
オレは、したり顔で琴子に言った。

「どうしてそんなことわかるの?」
琴子が不審げな表情でオレの目を覗き込む。
オレは、ほんの少しヒントを与えるように、その視線を連れて窓ガラスに目を向けた。
すると、窓ガラスとオレの顔を交互に見ていた琴子が、突然「あっ!」と声を上げた。

―へえ、ちゃんと気づいたか・・・

オレは、琴子の少しバツの悪そうな顔に向かって「そういうことさ」と笑って見せた。

「もう、入江君ズルイ!!・・・私は入江君が真剣な顔してるから・・・ん!」

―話を聞くのはあとで・・・まずは・・・

琴子の文句をキスで塞ぐ・・・
からかった罪滅ぼしのキスは想いを込めて甘く熱く・・・
それでも、まだ何か言いたげだな琴子をしっかりと抱きしめる。
そして琴子も、いつしか観念したようにオレの背中に手を回した。



琴子は知っているのだろうか・・・
こんな他愛のない時間のやり取りが、どれ程オレに安らぎと癒しを与えてくれているかを・・・
何もかも忘れて、このひと時をただ幸せだと感じているオレの心を・・・

そう・・・オレはもうずっと前から知っていた・・・
その透き通った心には、何も隠す必要のない素直なオレ自身も映っていることを・・・


                                                  END


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