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 無邪気な女神

―明日の手術・・・本当にオレにできるか?・・・それともやっぱり無謀なのか?・・・

オレは、バス停のベンチに腰掛けて車道に転がっている石を見つめながら考え込んでいた。
すると、突然後ろから伸びて来た手が、オレの両目を塞いだ。

―ん?・・・

「だ〜れだ?・・・」

―バカ・・・そんなことする奴はこの世にたったひとりだけだ。

オレは、何も答えずに目を塞いでいる手を掴んで離すと、呆れ顔を作って琴子に振り向いた。

「ああ、またそんな怖い顔してる・・・わかりましたぁ〜スミマセンでしたぁ〜!」

―わかってんなら最初からするな!

「今日は早くあがれたんだね!一緒に帰れて嬉しいな」

たった今すねていた顔が、一瞬で満面の笑顔に変わる。

「それにしても、入江君がベンチに座ってバスを待ってるなんて珍しいね・・・いつも空いてても
座ってることなんてないのに・・・ねえ、何かあったの?それとも疲れちゃった?」

その言い方があまりにもさりげなくて、オレは少しドキッとしながら琴子の顔を見た。
しかし、琴子はもう別のことを考えているらしく、人差し指をあごに当てて楽しげな表情をしていた。

「まだバスも来ないし、少し先まで歩こうか?・・・」
オレは、ふと琴子が期待している言葉を口にする。

「ホント?・・・わーい!」


オレと琴子は、バス通りから離れて住宅地の中の遊歩道を歩いた。
ゆっくりと歩くオレの前を、まるでスキップをするように琴子が歩いて行く。

「ねえ、手を繋いでいい?」
「やだね・・・」
「ええ〜どうして〜?せっかくのデート気分なのに・・・」

琴子はオレの隣に駆け寄ってくると、またすねた顔をしてオレを見上げた。
オレは、少し歩調を速めて琴子をやり過ごすと、気分転換のつもりで誘った散歩を少しだけ後悔した。
結局は、明日の手術のことが頭から離れなかったから・・・

「ねえ!!」

置き去りにされた琴子が、やけに強い口調でオレを呼んだ。
振り向くと、目に力を入れて琴子がオレを睨みつけている。

「なんだよ・・・」

すると、琴子は怖い顔をしたままオレの前まで来ると、背伸びをしてその顔をぐっと近づけながら言
った。
「なんだよって言いたいのはこっちだよ・・・さっきからずっとこんな顔してるのは入江君じゃない!」

―えっ?・・・

琴子は背伸びをしていたかかとを地面に付けると、その分あごをあげてオレの目を見つめた。
そして、不意にふっと微笑みを浮かべながら言った。
「ねえ、大丈夫?・・・」

オレは、その微笑みにほだされるように素直に答えた。
「明日、大きな手術があるんだ・・・」

「そうなの・・・」
琴子が、しゅんとしながら答える。
しかし、次の瞬間ふと視線を右に逸らした琴子が、急に「わあ〜綺麗〜!」と感嘆の声を上げた。
つられて振り返って見ると、遠くの高いビルとビルの間から、沈んでいく真っ赤な夕陽が顔を出して
いた。そして、その夕陽に見とれながら琴子がポツリとつぶやいた。
「明日はきっといいお天気だよ・・・だから大丈夫!入江君なら絶対大丈夫だよ・・・」

オレは、しばし夕陽に紅く染まる琴子の横顔を見つめていた。
なぜか、ふっと心が軽くなったような気がした。

オレは、琴子の頬に素早くキスをすると、その手を掴んで歩き始めた。

「急にどうしたのー?怒っちゃったの?・・・」

―まったく・・・怒ってる奴が、キスなんてするかよ!

「お前と話してると、悩んでるのがバカらしくなる・・・」
「入江君でも悩むことがあるなんて信じられなーい!」
「バカ!・・・人の命預かってんだぞ。お前それでもナースか?」

その時、あたりが急に薄暗くなった。
「あーあ、せっかく綺麗な夕陽だったのに、またビルに隠れちゃった・・・」
琴子はさもがっかりしたように言った。

―はあ?・・・ホント、まともに会話もできねえ・・・

オレは、呆れながら、それでも今自分が笑っていることに気づいていた。
琴子の無邪気な励ましと女神のような微笑みは、いつもオレを癒してくれる。
それは琴子にしかできなくて、オレにしか効かない魔法のようなもの・・・
振り向くと、繋いだ手を持ち上げながら琴子が幸せそうに目を細めてオレを見た。


<明日はきっといいお天気だよ・・・>

琴子の言った言葉が、オレに力をくれる。

―ああ、お前がそう言うなら、きっとそうなるよな・・・


                                             END


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