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 女神に抱かれて・・・続・無邪気な女神

1週間ぶりに家に戻った・・・

ただ、担当患者は今も術後の経過観察中で、いつ病院に呼び戻されるかわからない状態での一
時帰宅だった。
オレは家の前に立ってもまだ緊張の中にいた。
玄関のドアを開けようとして手を出す瞬間、それまでポケットの中でずっと携帯電話を握りしめてい
たことに気がついてオレは苦笑しながら家に入った。

そっとドアを閉めると、リビングから聞こえてくるテレビの音に紛れて明かりもつけずに階段を上が
った・・・幸い、オフクロにもオヤジにも気づかれずに済んだようだった。

ただ、琴子の顔が見たかった。

部屋に入ると、琴子はこちらに背中を向けてベッドに広げた洗濯物をたたんでいた。

「ただいま・・・」
小さく声を掛けると、帰ることを先にメールで知っていた琴子は普段と変わりなく頭だけをこちらに向
けて「ああ、おかえり〜」と答えた。
心なしか洗濯物をたたむ速度が上がったように見えた。
オレは、ソファの上にバッグを投げだすと、そのままベッドの端に腰掛けて琴子を背中から抱きしめた。
琴子は、一瞬驚いたように体を固くしたが、すぐに力を抜くとやけに明るい声でオレに尋ねた。
「ご飯は?」
「病院で食ってきた」
「お風呂すぐに入れるよ」
「後でいい・・・」
「あっ、今日病院で入江君見たよ・・・手を振ったけど気づかなかったね」
「そうか・・・」
「うんと、えっと、あれ?何か言うことがあったような気がするんだけど・・・」

―いつもみたいに寂しかったって言えよ。

「琴子?・・・」
「ん?何?・・・」
「少し黙ってろよ」
「えっ?・・・」

琴子が口を尖らせながら、オレの手をほどいて振り返ろうとする。
オレは、そうはさせまいと抱きしめていた手に力を入れた。
「もう少し、このまま・・・」
オレは、琴子の髪の香りを胸一杯に吸い込み、大きく息を吐き出しながらその首筋に顔をうずめた。
この瞬間が欲しくて帰って来んだとあらためて思った。
琴子を抱きしめてやっと緊張から解放されたのを感じた。

ところが、琴子の肩が微かに震えだし、抱きしめた腕にポトリと涙が一粒こぼれ落ちた。
「なに我慢してんだよ・・・」
オレは、琴子の耳元で囁いた。

「べっ、別に我慢なんてしてないもん・・・」
強気な言葉とは裏腹に、その声は弱々しかった。

「お前らしくないじゃん・・・いつもと同じでいいんだよ」
「だって・・・」
「だって?」
「入江君、一生懸命仕事してきたのに、寂しかったなんて言ったらいけないと思って・・・あっ!」
琴子は、うつむいていた顔を上げ、慌てて両手で口を塞いだが時すでに遅しだった。

―やっぱりな・・・から元気か。

オレは、やっと聞きたかった言葉が琴子の口から洩れて、思わず吹き出しながら琴子をこちらへ
向けさせようとした。ところが、今度は琴子が体に力を入れてこちらを向こうとしない・・・
「なんだよ・・・」
オレは、戸惑いながら言った。

「だって・・・入江君ずるいよ。いきなり抱きしめたりしてさ。私だって疲れてる入江君を笑顔で迎えな
きゃって思ってたのに・・・」
琴子は前を向いたまま頬を膨らませた。

「こっち向けよ」
「やだ。」
「キスしたいんですけど・・・」
「えっ?・・・」

まるで絵に描いたように罠にかかった琴子が驚いた顔で振り向く。
オレは琴子の唇に素早くキスをすると、そのままベッドに倒れこんだ。

琴子が腕の中にいる安堵が、急速な眠気を連れてくる。
どんなに力いっぱい抱きしめようとしても意識は遠のき、顔にかかった琴子の髪を払う気力さえ残っ
てはいなかった。

「ねえ、入江君!着替えもしないで寝ちゃダメだよ!」
琴子の慌てた声が聞こえたが、とうとうオレはそれに答えることは出来なかった。

「もう・・・!」

琴子のつぶやきと一緒に大きなため息が聞こえて、オレは一瞬目を開けた。
しかし、オレを見降ろす優しい微笑みと髪を梳くように頭を撫でられる指の感触に、あっという間に眠
りに落ちていった。


あれは夢だったのかそれとも(うつつ)だったのか・・・
オレは、確かに女神に
(いだ)かれていた。
その腕の中はとても温かで安らかで慈愛に満ちていた。
そして、その女神は琴子の姿をしてオレに微笑みかけていた・・・


                                             END


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