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 幸せの形 −琴子Birthday story−

店の軽トラを家の門の前に停め、明かりの消えた窓を見上げる。
「今年もまた間に合わなかったな・・・ごめんよ。琴子・・・」

なるべく音をたてないように玄関の鍵を開けると、そっとドアを開けて中に入る。
「ただいま・・・」
それがいつもの癖で、暗い玄関の奥に向かって囁くように帰って来た挨拶をする。

住む場所は何度となく変わって来たが、もう何十年もこの夜の儀式は続いている。
店が休みの日以外は明りのついた家に帰ってくることはない。
そう、それがたとえ一人娘の誕生日であっても・・・

足音を忍ばせて真っ直ぐに自分の部屋へ行こうとして、ふとダイニングを覗くとテーブルの上に何
かが乗っているのが見えた。
明かりもつけずに近づいて見てみると、それは小さな皿に乗ったひと欠けのケーキだった。

『パパ、おかえりなさい。今日もお仕事お疲れさまでした。おかあさんが焼いてくれたケーキ美味し
いよ。私のお祝いなんだから食べてね!  琴子』

皿の横に添えられたメッセージを目を凝らして読めば、琴子の書く丸い文字が踊っていた。

―ごめんよ。琴子・・・

ふと込み上げてきた涙を慌ててシャツの袖で拭うと、ありがたくケーキの皿を持ち上げる。
ところが、背後で部屋がほの明るくなった気がして振り向くと、いつのまにか階段の明かりがつい
て誰かが降りてくる足音が聞こえた。

「お義父さん、おかえりなさい」
ゆっくりと階段を降りてきたのは、娘婿の直樹くんだった。

「やあ、直樹くん。起しちゃったかな?悪いことしたね・・・」

「いえ違いますよ・・・ちょっと資料のまとめをして起きていたら、外に車の音が聞こえたんで降りて
来たんです」
直樹くんは、穏やかな笑顔を見せてそう言った。
そして、直樹くんは私の持っているケーキの皿を見てさらに微笑むと言葉を続けた。
「お義父さん、どうですか一杯。ケーキがつまみじゃなんですけど、今日はせっかく琴子の誕生日
ですし・・・」
直樹くんが杯を口に運ぶ仕草をしながら私を誘う・・・私は、一瞬戸惑いながらも、彼の誘いに乗っ
て一度持ちあげた皿をまたテーブルの上に置いた。

酒の瓶と小さな杯が2つ用意され、私と直樹くんはまずは何も言わずに一杯目の酒を酌み交わした。
ケーキに掛けられたラップを外して、一口口に運ぶと甘い生クリームの味にふと感慨深い思いが
込み上げる。

「琴子は楽しそうにしていたかな?・・・」
ふと気づくと私は、直樹くんに尋ねていた。

「ええ、オフクロと一緒に随分とはしゃいでいましたよ」
直樹くんは、穏やかな笑みを浮かべたまま答えた。

「そうか、それは良かった・・・本当によかった」

琴子がまだ子供だった頃、私の買ってくる誕生日ケーキを楽しみにしていて、待ち切れずに居間で
眠ってしまっていた姿が浮かんだ。
店が休みの日と誕生日が重なった年には、朝から大はしゃぎで誕生日プレゼントを買いに行ったこ
ともあった。

「入江家に住まわせてもらうようになるまでは、琴子は一人で誕生日を迎えていたことが多かった
んだ・・・」
私は、鼻の奥にツンとした痛みを感じながら、ひとり言のようにつぶやいていた。

一人ではないにしても、店の奥のテーブルで客の中に混じってケーキのロウソクを吹き消していた
こともあった。
いつも店の料理ばかりで、誕生日だからと特別なものがテーブルに並ぶこともなかった。

直樹くんはただ黙って頷くと、私の杯にまた酒を注いだ。

「入江家に来て何よりも嬉しかったのは、琴子がいつもひとりぽっちじゃないことだった。優しいママ
さんやイリちゃんがいて、君や裕樹君がいて、琴子がただいまと帰って来た時におかえりと言ってくれ
る人がいるっていうのが何よりも嬉しかった・・・誕生日もこうして家族みんなで祝ってくれて、本当に
それが何より・・・」
私は、いつの間にかせきを切ったように直樹くん相手に語りながら涙を堪えられなくなっていた。

そう・・・思えば、何よりも嬉しいのは琴子がいつも幸せそうに笑っていることだ。
今目の前にいるこの青年を愛し、愛され、その家族にも愛されていつも笑っていることだ。
私は、日常の忙しさに紛れてあらためて思うこともなかった幸せの形を、はっきりと心の中に見た気
がした。
それは、私ひとりではどれ程琴子を愛していても与えてはやれないものだった。
今、琴子がその中にいることが本当に嬉しかった。

「直樹くん・・・ありがとう」
自然と言葉がこぼれ落ちた。
そして、言った途端に照れくさくなって私は少し慌てながら席を立った。
「柄にもなく涙なんかこぼしちまった・・・もう遅いよ。直樹くんももう寝なさい」
食べかけのケーキの皿を持ち上げながら、私は直樹くんにひと言声をかけると顔も上げずに部屋へ
向かった。
ところが、そんな私の背中を直樹くんの凛とした声が呼び止めた。
「お義父さん!・・・」

暗がりの中で振り向くと、明るいダイニングの照明の下に立っている直樹くんはやけに真剣な顔をを
私に向けて言った。
「ありがとうを言わなければならないのはオレの方です・・・お義父さんとお義母さんが出会ったことに、
オヤジとお義父さんの友情に・・・そして・・・」

「そして・・・」の後に直樹くんが言った言葉はやけに小さい声だった。

「えっ?・・・」
私は、耳に手を当てて彼にもう一度言ってくれるよう促した。
しかし、直樹くんは少し前の私のように照れた顔でうつむくと、言い訳のように答えた。
「オレも柄にもないことを言いました・・・ちょっと酒に酔ったかな・・・お義父さん、引きとめちゃってす
みませんでした。おやすみなさい」

私は、階段を上がって行く直樹くんの背中を目で追いながら心の中でつぶやいた。

―直樹くん、聞こえたよ・・・本当にありがとう。今夜のことは忘れないよ。

階段の明かりが消え、二階でドアの閉まる音が聞こえると、家の中が再び静寂に包まれた。
私は、直樹くんが囁くように言った言葉をもう一度聞こうと目を閉じて心の耳を澄ませた・・・

彼は確かに言った。
『・・・そして、琴子がこの世に存在することに・・・』と。

私は天井を見上げながら、二階で眠る琴子に語りかけるつもりでそっとつぶやいた。
「琴子、誕生日おめでとう・・・良かったな、お前の愛する直樹くんがそう言ってくれたよ」


そう・・・

本当は直樹くんの言った言葉を、琴子に聞かせてやれないのが何よりも残念だと思いながら・・・


                                               END


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