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 留守電より愛をこめて・・

「もしもし?・・・」
「ああ、やっと出たー!」

着信画面に「琴子」と表示されているのを確認した時からすでに予測していた歓喜の声を
オレは、耳から少し遠ざけた受話口から聞いていた。

「入江君?・・・入江君?」

琴子がオレを呼ぶ声が受話口の小さな穴から微かに聞こえる。

「聞こえてるよ・・・何か用か?」
オレは、やっと受話口を耳に付けてから答えた。

「そんないい方ないじゃない・・・もう丸2日も入江君の声聞いてないんだよ〜〜〜!」

―たったの2日だろ・・・

オレは、携帯電話を肩で挟むと、空いた両手で目の前のカルテをめくりながら琴子の訴え
を聞いていた。

「ちゃんとメールしてるだろ。」
いつもように、素っ気なく答える。

「そうじゃなくて、1日に1回くらいは声が聞きたいの!それにメールだって、今日は帰れな
いとか今日も帰れないとかそんなんばっかり・・・入江君だって、たまには私の声が聞きた
いとか思ってくれないの?」

「おい。」
「ん?」
「そんなこと言うために電話してきたのかよ・・・これからまたICUに戻らなきゃならないんだ。
切るぞ。」
「ええーー?、いつも留守電ばっかりで、やっと繋がったのに・・・」
「もう、声を聞いたんだからいいだろ?切るぞ。」
「わかった・・・忙しいんだもんね。ただおやすみって言って欲しかっただけなんだけど、文
句言っちゃってごめんね・・・」

―えっ?・・・

今度は泣き落しかと身構える・・・

「私、これからお風呂に入って寝るね、入江君はお仕事がんばって・・・無理しないでね。ああ、
先に切らないで、私から切るから・・・入江君が電話を切る音を聞くとなんだかすごく寂しくなる
から・・・じゃあね・・・おやすみなさい」

「ああ・・・」
オレが答えると同時に電話がプツンと切れて、オフィスに静寂が戻った。
オレは、なぜか微かな罪悪感にかられながら携帯電話を見つめていた。

<入江君だって、たまには私の声が聞きたいとか思ってくれないの?>

琴子の言葉が蘇り、思わず笑いがこみ上げる・・・
なぜなら、そんなこと思う必要もないほど、オレの携帯の留守電には琴子の声が録音されて
いる。
それは、時に怒った声で、時にさびしげに・・・時に甘えた声で・・・

いつでも琴子の声で一杯になっている留守電のお陰で、琴子には悪いがオレはこれまで琴子
の声が聞きたいなどと思ったことはなかった・・・

<ただおやすみって言って欲しかっただけなんだけど・・・>

―あいつ、これから風呂に入るって言ってたな・・・

オレは、ふと閃いてすぐに琴子の携帯に電話をかけた。
5回ほど呼び出し音が聞こえたあと、思ったとおり留守番電話になっていることを知らせるア
ナウンスが聞こえてきた。
オレは、録音の始まる発信音が聞こえるのを待って、大きくひとつ息を吸い込んでから送話口
むかって囁いた・・・

「おやすみ琴子。あ・・・明日には必ず帰るからな・・・」

電話を切ると、今度は大きく息を吐きだした。

―まさか「愛してる」って言おうとした?・・・オレが?・・・

誰もいない一人きりのオフィスで、オレは自分のしようとしたことに柄にもなく照れていた。
思わず言葉をすり替えてしまったことをほんの少し後悔しないでもない。
そして、留守電に気づいた琴子の顔を思い浮かべながら、なぜだかいつもより心臓がドキドキ
としている自分がおかしくて、声をあげて笑っていた。

この2日間、担当してる患者の一進一退する容態に張りつめていた神経が、心地よく解きほぐ
されたのを感じながら、オレはカルテを片手に立ち上がった。

オフィスを出る前に、もう一度ポケットから携帯電話を出すと、録音された留守電を聞く番号を
プッシュして電話を耳に当てる。

「入江君、大好きだからね・・・ホントにホントに大好き!」

耳に流れ込んでくるのは、オレをいつも励ます言葉・・・
それは、何よりも愛おしい囁き・・・だからオレはがんばれる・・・

「ああ、わかってるさ。」
いつもは心の中で答える言葉を、今夜は声に出して言ってみる。
そして、嬉しそうにオレを見上げる琴子の顔を思い浮かべながら、オレはオフィスを出てICU
へ向かった。


ふと、ポケットに入れた手が、無意識の内に携帯電話を掴んでいることに気づく。
もしかしたら、今夜もまた新しい琴子の囁きが更新されるかもしれないと思いながら・・・


                                                END


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